- 親鸞聖人を訪ねて TOP
- 親鸞聖人のご生涯(信濃-常陸)
関東一円での布教
8.常陸への旅立ち
建暦元(1211)年流罪が赦免された親鸞聖人は、しばらくの間越後国にとどまった後、常陸国(茨城県)へ向かわれます。
越後から離れられた年は定かではありませんが、『恵信尼消息』によると建保2(1214)年には上野国(群馬県)の佐貫におられたと記されています。
流罪先の越後国府から上野国に至る道程を考えると、国府から南に向かって信濃国(長野県)に至る道が、古くから人や物の流通として使われていたことが知られています。親鸞聖人は恐らくこの信濃を通るルートをたどって、上野国へ入られたと考えられます。
信濃には、7世紀の飛鳥時代に創建されたといわれる古刹・善光寺がありました。親鸞聖人は当時の善光寺に参詣されたと言われています。
-
親鸞聖人も参拝された信州の古刹
善光寺
信州善光寺は一光三尊阿弥陀如来像を本尊とする約1400年の歴史をもつ寺院で、親鸞聖人が越後から関東に赴く際に立ち寄った場所とされています。 ... 続きを読む
-
親鸞聖人の門弟に建立された磯辺六ヶ寺の1つ
普願寺
普願寺は親鸞聖人の門弟の賢阿房信性により建立され、磯辺六ヶ寺の1つといわれています。当初は武州秩父の大岩の里(埼玉県)にあったことから、 ... 続きを読む
-
親鸞聖人の門弟、木曽義仲の子・釈浄真が開基
称名寺
称名寺の開基は、釋浄貞であり、父は木曽義仲といわれています。承元4年(1210年)越後にいた親鸞聖人の弟子となります。その後、稲田へ同行した後、 ... 続きを読む
-
磯辺六ヶ寺のひとつ・本誓寺から名を引き継いだ
真宗寺
開基である教念は、常陸国で宗祖親鸞聖人の弟子となり、後に文永9年(1272年)高井郡笠原村(現中野市)に創建しました。これが磯辺六ヶ寺のうちの1つ、 ... 続きを読む
-
親鸞聖人から頂いた聖徳太子像を所蔵する
西教寺
親鸞聖人の弟子である善巧により、建長7年(1255年)信濃国植科郡倉科に創設され、その後、中野市牛出、飯山市深沢と移動、寛文12年(1672年)に現地に ... 続きを読む
-
親鸞聖人の門弟に建立された磯辺六ヶ寺の1つ
勝善寺
勝善寺は宗祖親鸞聖人門弟の明空により正治元年(1199年)信濃国水内郡中俣村に建立された、磯辺6ヶ寺の1つといわれています。明空は、建久4年(1193年) ... 続きを読む
9.関東での布教
常陸国に到着された親鸞聖人は、下妻(小島の草庵)に3年ほど逗留された後、笠間郡の稲田の草庵に移り住まれ、この地を拠点におよそ20年にわたって布教を続けられることになります。
時代は源頼朝が鎌倉幕府を開いてから約30年が経過した頃、それまで政治や文化の中心であった京都から、関東が日本の中心となりつつありました。発展途上の関東の地では、まだ十分に浄土教信仰が広まっていませんでしたので、親鸞聖人は敢えてこの地での伝導を決意されたものと思われます。
「念仏を称えるだけで誰もが仏に救われる」という親鸞聖人の教えは次第に人々に受け入れられ、広まっていきましたが、それは一方で、周辺で修験道の行者として崇められてきた弁円という山伏の弟子や信者を奪うことになり、逆恨みをした弁円は親鸞聖人の命を狙います。呪術を行い、あるいは待ち伏せし、ついには親鸞聖人の草庵に乗り込んで聖人を殺そうとした弁円を、親鸞聖人は穏やかに迎えられ、ともに仏に救われる存在であるとして「同朋」と呼ばれたといいます。心を打たれた弁円は直ちに念仏者となり、親鸞聖人の門弟として教えを説き広めたと伝えられています。
このように、親鸞聖人の教えと生き方は、多くの人々に伝わっていきました。時には請われて下総(千葉県)や下野(栃木県)にまで足を延ばされ、こうした地道な伝道は次第に関東一円の人々に広まり、多くの人々が念仏に帰依しました。親鸞聖人の直弟のうち、とくに高弟といわれる人々は「二十四輩」として後世に伝わっています。
また、親鸞聖人は常陸での布教のかたわら、専修念仏の教えを体系的にまとめたお聖教『教行信証』の執筆を進められます。たくさんの経典などを参考にして、何度も筆を加えながら、元仁元(1224)年にほぼ完成されました。
-
親鸞聖人が常陸で最初に開いた草庵
小島の草庵跡
小島郡司武弘が聖人を慕い、この地に草庵をもうけて迎えたと伝わり、聖人はここに3年間滞在したあと稲田へ移ったといいます。小島の地は門弟蓮位に託され、 ... 続きを読む
-
親鸞聖人の関東での布教の拠点
稲田の草庵跡(西念寺)
浄土真宗別格本山。別名「稲田御坊」と呼ばれ、親鸞聖人が常陸国稲田の領主であった稲田九郎頼重の招きに応じて、妻子ともどもこの地に草庵を結んだのが ... 続きを読む
-
弁円が親鸞聖人の命を狙った地
大覚寺
親鸞聖人の弟子・善性房(周観大覚)が開山した寺院で、明法房こと山伏弁円の伝承で有名な板敷山の付近にあります。本堂には「親鸞聖人御満足の像」と「弁円 ... 続きを読む
-
親鸞聖人が『教行信証』執筆のために訪れた地
鹿島神宮
常陸国一の宮として信仰されてきた鹿島神宮は、親鸞聖人の時代には神仏混淆で、豊富な仏典や経典を所蔵していました。稲田に草庵を結ばれた聖人は『教行信証 ... 続きを読む
-
親鸞聖人が布教の中心とされた地
大山の草庵跡
越後から常陸に入られた後、親鸞聖人が布教の中心とされた地と言われています。当時、大山には法然上人の門下であった行観上人が開いたといわれる阿弥陀寺が ... 続きを読む
-
親鸞聖人が夢告を受け建立された寺院
専修寺
江戸期に高田派の良空が著した『正統伝』によれば、親鸞聖人は元仁2(1225)年、五十三歳のとき、布教の途上この地で野宿をしていたところ、明星天子と称する ... 続きを読む