二十四輩第四 乗念

如來寺にょらいじ

<t_006>如來寺

乗然じょうねんは、俗姓を片岡尾張守源九郎親綱ちかつなといい、豪勇無双の武人にして上野国こうずけのくに片岡郡の城主であった。兄の片岡信親のぶちかが、朝廷の命によって鹿島神宮の大宮司となったため、弟の親綱が片岡の家名を継いだといわれる。兄・信親は、神官から親鸞聖人の門弟となった順信じゅんしんである。

霞ヶ浦草庵の逸話

如來寺は、親鸞聖人が霞ヶ浦に構えた草庵に始まる。伝承によれば、建保2(1214)年、霞ヶ浦の湖中に光る物が出現し、漁獲が減り始め、猟師たちは生活に困窮するようになった。
翌年、そこへ鹿島明神と自称する白髪の翁が浮木に乗って現れ、「明日ここに末代の名僧が通りかかるので、済度さいどを仰ぐように」と進言。また自分が乗ってきた浮木は「天竺より渡来した名木であり、聖人に献上するように」と告げ忽然と姿を消したという。
翌日、村人たちの前にやってきたのが親鸞聖人であった。聖人は早速、漁師とともに舟を出し網を打ち、光る物体を引き上げたところ、阿弥陀如来の尊像が上がったという。聖人はこの地に庵を構え、その阿弥陀如来像と、鹿島明神が乗ってきた浮木で聖徳太子像を刻み、この草庵に安置した。これが霞ヶ浦草庵つまり如來寺の起こりである。

乗然への付属

寺伝によると、片岡親綱は建保3(1215)年、この霞ヶ浦草庵に滞在していた親鸞聖人を訪ね、教えを聞き直ちに弟子となり、乗念房領海という法名を授かったと伝えている。後に聖人が関東を去るとき、乗念はお伴を願い出るが、聖人から当地の同行のために残るようにと、この草庵を託されたと伝えられている。
明応7(1498)年、如來寺は、同じ寺号を持つ、柿岡の如来寺と寺地交換し、霞ヶ浦から現在地へと移転した。交換相手の如来寺(茨城県稲敷郡美浦村、天台宗)にも同様の伝承が伝わっている。移転の理由は定かではないが、両地とも古くは「片岡」という地名が近隣にあったことから、片岡一族の所領との関係も推測できる。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 帰命山無量寿院 如來寺
住所 茨城県石岡市柿岡2741-1
アクセス 常磐自動車道千代田石岡ICを出て、国道6号線に入る。約3キロ進み、恋瀬橋北交差点を左折し国道355号線に入る。さらに約5キロ進み県道7号線を左折。約8キロ先の県道42号線を右折後、約350メートル。
駐車場 普通車10台
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 0299-43-0180

二十四輩寺院