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二十四輩第六 成然
妙安寺(前橋)
成然によって下総に開創された妙安寺は、徳川家康の家臣である酒井重忠の庇護を受け、三村から武蔵国川越へ、さらには上野国前橋へと移転した。
成然と宗祖は親戚
『妙安寺系図』によると、成然は俗名を九条幸実といい、従三位という高い地位にあったと伝えている。同系図には、成然の母を「対馬守源義親女」と記している。
寺伝によると、幸実は無実の罪を着せられ、承元4(1210)年、下総国猿島郡一ノ谷(茨城県)に流されていた。隣りの稲田郷に親鸞聖人がいることを知った幸実は、縁類であったため稲田をたびたび訪ね、聖人の教化を聴聞して、建保2(1214)年に弟子となり成然と法号を賜ったと伝えている。
妙安寺の変遷
「成然上人消息」によると、貞永元(1232)年、親鸞聖人は帰洛に際して、成然に関東の地に留まるよう命じ、形見として自らの寿像と九字・十字名号、また『選択集』その他数点を授け、坊舎を建てるよう告げ「妙安寺」と寺号を与えたという。同年、聖徳太子の夢告を受けた成然は、下総国三村にある太子ゆかりの最頂院の跡地を坊舎建立の地として定め、天福元(1233)年、妙安寺として再興させた。
天正18(1590)年、武蔵国川越(埼玉県)の藩主・酒井河内守重忠の願いで、妙安寺は下総三村から川越へ移転した。真宗信仰をもっていた重忠の母が、三村妙安寺の信奉者であったためといわれている。
寺基はさらに慶長6(1601)年、酒井家の国替えにともない厩橋(現・群馬県前橋市)に移転し、現在に至っている。
妙安寺の御影像
慶長7(1602)年、徳川家康より京都七条烏丸に寺地の寄進を受けて、教如は本願寺第十二代として東本願寺を建立。このときに、妙安寺に伝えられてきた親鸞聖人自刻の木像が、京都へ移され納められた。妙安寺が東本願寺の御真影の「御里御坊」と呼ばれる由縁である。
『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用
正式名称 | 一谷山最頂院 妙安寺 |
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住所 | 群馬県前橋市千代田町3-3-30 |
アクセス | JR両毛線前橋駅より徒歩22分。上毛電気鉄道中央前橋駅より徒歩9分。 関越自動車道前橋ICを出て、国道17号線を進む。その先5キロほどで到着 |
駐車場 | 普通車4台 |
参拝 | 事前連絡が必要 ※土・日曜、祝日、寺院行事の際は参拝不可 |
お問合せ | TEL 027-231-1590 |