二十四輩第十七 念信

照願寺しょうがんじ(鷲子)

<t_034>照願寺

茨城県常陸大宮市鷲子とりのこの照願寺山門前に望む山には高沢城跡があり、山頂や尾根に空堀からぼりの遺構が発見されている。開基・念信ねんしんは、この高沢城の城主で、俗姓を高沢氏信うじのぶといったと伝えられる。

氏信の出家

同寺の寺伝によると、氏信は自らの本尊としていた観世音菩薩のお告げと、父の臨終の遺言によって、稲田に親鸞聖人を訪ね教化を仰ぐことになったという。聖人の弟子となり法名を念信と賜ったのが、氏信三十一歳のときであったと伝えられる。
念信は那珂小舟の毘沙幢びしゃどうに草庵を開き、遠近の道俗どうぞくを教化したとされ、これが照願寺の起こりとなったという。毘沙幢には、親鸞聖人も六度にわたり布教に訪れたと伝えられる。

照願寺の繁栄

茨城県の『美和村史』は、「照願寺は大きな勢力を有していたようである。というのは、現在も照願寺本堂に安置される本尊の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代後期から南北朝時代の造立と考えられ、太子堂の聖徳太子立像も、ほぼ同時期の立像と考えられ、有力な保護者の存在と経済力の旺盛さを思わせるからである」と記している。念信の教化が拡がり、照願寺の隆盛をもたらしたのであろう。
毘沙幢に創建された照願寺は、正安2(1300)年、第三世道観どうかんのときに鷲子の春丸はるまるに移り、さらに延徳2(1490)年、第九世勝祐しょうゆうのときに、現在地である鷲子の城崎に移った。

見返りの桜

安貞2(1228)年早春、親鸞聖人が、毘沙幢に布教のため訪れたとき、不思議なことに庭先の桜が一夜にして満開になったという。感激する人々に聖人は、他力念仏が世に繁盛する奇瑞きずいであろうと、その桜花を何度も振り返りながら称名念仏したという。この「見返りの桜」は元禄年間になって、徳川光圀の命により、現在の鷲子の境内に移植され、今でも毎年爛漫たる花を咲かせている。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 毘沙幢山無為院 照願寺
住所 茨城県常陸大宮市鷲子2236
アクセス 常磐自動車道那珂ICを出て、国道293号線を栃木方面に進み、道の駅(北斗星)の先、約2キロで、右に照願寺の石柱が見える。
駐車場 普通車10台
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 0295-58-2411

二十四輩寺院