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二十四輩第十九 明法
明圓寺
明法は、もと京都聖護院の門侶で播磨公弁円と称し、大和や播州の深山を往来する山伏であったが、建暦2(1212)年、佐竹末賢の招請により常那珂郡東野村の楢原谷に、不動尊を安置して護摩堂を建てて住んでいたと伝えられる。
真家の拠点
寺伝によると、弁円は、親鸞聖人の教えが広まるにつれ自分の説く教えが廃れ、現世祈祷をする人が少なくなったことに憤りを抱き、聖人に危害を加えようとした。しかし親鸞聖人の住む稲田が、東野からは遠かったため、新治郡真家村に土地を拝領して拠点を構え、聖人が稲田より板敷山を行き来する折をうかがっていたという。機会を捉えきれなかった弁円は、直接稲田草庵へと押しかけるが、かえって聖人に迎えられ、仏法を謗るものが救われる理を聞かされ後悔の涙を流し、たちどころに廻心懺悔して弟子となったと伝えられる。
弁円は聖人から明法という名を授かり、その後は東野に戻り、聖人より上宮寺という寺号を賜って一宇を建立した。
仁治元(1240)年に上宮寺を明教に譲り、かつて聖人を狙う拠点としていた真家村に一宇を建立して隠居し、ここを明法の明と以前の名である弁円の円の字をとって明圓寺と号した。明法は隠居してまもなく建長3(1251)年、七十三歳にて寂したと伝えられている。
明圓寺は天明6(1786)年に山津波のため本堂、庫裏が八百メートル下の畑まで押し流された。今でも下の畑からは石碑などが地中から発見されるという。その後、明圓寺は当初の位置より下に再建され現在に至っている。
馬滝と鳴滝
明圓寺から大沢山の山道をしばらく登ると、弁円がかつて山伏であったときの修行場とも伝えられる馬滝がある。五段に分かれる滝が静寂な緑の中を流れ落ちる。
また、大沢山の北愛宕山に続く江戸壁の山中には巨大な一枚岩を流れ落ちる鳴滝があり、ここも弁円のゆかりの滝と伝承される。滝の上部には不動堂がある。
『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用
正式名称 | 大澤山常陽院 明圓寺 |
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住所 | 茨城県石岡市真家1055 |
アクセス | 常磐自動車道岩間ICを出て右折。約8キロ直進。真家果樹園の看板を目印に右折し約600メートル。 |
駐車場 | 普通車20台 |
参拝 | 事前連絡が必要 |
お問合せ | TEL 0299-46-2526 |