二十四輩第六 成然

妙安寺みょうあんじ(一ノ谷)

<t_009>妙安寺

成然じょうねんが開基とされる妙安寺は、一ノ谷いちのやのほか三村と前橋にもあるが、一ノ谷妙安寺は、成然が最初に建てた寺と伝えられる。また近くに成然の墓がある。

開基成然は九条家の出身

一ノ谷の妙安寺に伝わる「成然上人略縁起」によると、開基の成然は、藤原氏の一族で俗姓を中村頼国なかむらよりくにといい、九条家の一門であったと伝えている。
頼国は、建保年間の初め頃に関東へと下り、下総国猿島郡境の豪族長五郎の館にしばらく身を寄せたと記される。もともと親鸞聖人とは摂家の関係で知り合いであった頼国は、聖人が稲田にて本願の教えを広めていることを知り、懐かしんで聖人を訪ねたという。そこで真宗の教えを受けた頼国は、弟子となって法名を成然と賜った。承久3(1221)年のことと伝えられる。

妙安寺開創

出家の身となった成然は、境に戻りしばらく長五郎の館に居住。このとき自分の刀を長五郎に与え、中村という姓をも与えたとされる。その後、貞永元(1232)年、猿島郡境の近くの一ノ谷に庵を開き、妙安寺を草創したという。
親鸞聖人は帰洛の折に、別れを惜しむ成然に、自らの像を彫刻し形見として授けた。現在、京都の東本願寺に安置されている御真影ごしんねいは、そのときに成然が拝受したものと伝えられている。
成然は文永2(1265)年、七十二歳にて寂したといわれる。妙安寺の旧地は、現在地から約五百メートル南に位置し、ここに成然の墓がある。

九条家の荘園

近藤義雄氏は『成然と親鸞』の中で、常陸筑波郡には村田荘という九条家の荘園があり、その荘の南は下総国境までという記録があることを指摘している。そして「一ノ谷はその境町の字名であり、九条家の荘園村田荘は一ノ谷までも含めた広範囲の荘園であった」とし、九条家一門の成然にとって、京から身を引いて下った寄宿先は、九条家荘園に関係があると推論している。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 一谷山大法院 妙安寺
住所 茨城県猿島郡境町一ノ谷498
アクセス 圏央道境古河ICより車で10分。
境古河IC出口を右折し、蛇池南交差点を右折する。約4㎞道なりに進み、伏木交差点を左折して国道354号線に入る。約400m先の右側に案内板がある。案内板のあるY字路を右方向に進み、すぐに(100m先)右折し、約600m先の左側。
駐車場 普通車40台
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 0280-86-5997

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