二十四輩第二 真仏

稱名寺しょうみょうじ

<t_002>稱名寺

絹織物の結城紬ゆうきつむぎの産地として知られる結城市は、城下町として栄えてきた。
鎌倉期から江戸期にかけて、この地に城を構え関東の雄として勢力を誇っていたのが、結城氏一門である。その繁栄を築いたのは、初代・結城朝光ともみつであった。

朝光の帰依

結城朝光は、源頼朝の挙兵に応じて功をたて、頼朝の厚い信頼を得て、下総国しもうさのくに結城を与えられた。朝光は武将として活躍する一方、若き頃から念仏信仰に篤く新居村(栃木県芳賀郡)に法堂を持っていたといわれる。
建保2(1214)年、朝光は越後より関東に来られた親鸞聖人と出会い、教えを受けて深く帰依きえした。嘉禄元(1225)年には、新居の法堂を結城本郷西之宮に移転し、ここに聖人の高弟であった高田の真仏しんぶつを開基に招き、稱名寺を創建するに至ったという。
真仏の子・信証しんしょうは、朝光の娘と結婚し稱名寺第二世を継承。以後その法統と血脈が受け継がれてきている。
稱名寺境内には朝光・朝広ともひろ広綱ひろつな時広ときひろと四代までの結城氏の墓がある。
元禄元(1688)年には、寺基を現在地に移転している。

玉日姫の伝承

結城市の城址公園の西側には江戸時代に建てられた玉日姫の墓がある。
伝承によると、玉日姫は、関白・九条兼実の娘とされ、朝光は結城領内の玉岡という地に、親鸞聖人の妻・玉日姫のために住居を用意して迎えたという。貞永年間に聖人が帰洛した後も、玉日姫はこの地に留まり教化に尽くし建長6(1254)年、六十五歳で往生したと当地では伝えられてきた。

宝物

稱名寺の本堂には恵信尼(玉日姫)坐像が安置されている。本尊阿弥陀如来像は、西本願寺阿弥陀堂の本尊と同じく、仏師春日かすがの作である。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 新居山高田院 稱名寺
住所 茨城県結城市結城152
アクセス JR水戸線結城駅から徒歩7分。
東北自動車道佐野藤岡ICを出て、国道50号線佐野バイパスを東に約20キロ。小田林(北)立体交差点を右折して約3キロ。木町交差点を右折して約200メートル先。
駐車場 普通車50台、バス3台
参拝 説明希望の場合、事前連絡が必要
お問合せ TEL 0296-33-3331

二十四輩寺院