二十四輩第七 西念

清浄寺しょうじょうじ

<t_015>清浄寺

西念さいねんは親鸞聖人面授めんじゅの直弟子として長寿を保ち、覚如かくにょの東国下向の折にも対面を果たしたとされる。清浄寺は西念往生の地と伝えられ、また聖人より授けられたという真影しんねいが伝わる。

西念房往生の地

寺伝によれば、西念の俗姓は、信州高井郡井上城主・井上盛長いのうえもりながの子で、三郎貞親さだちかという。八歳のとき父が奥州の乱で討ち死にし、二十八歳のとき母と別れて世の無常を観じ、当時越後にて配流となっていた親鸞聖人を訪ね門弟となったと伝えられる。
西念は聖人に随伴して越後から関東へと移り、武蔵国足立郡野田(さいたま市緑区上野田)に坊舎を建て西念寺と号したという。さらに聖人の勧めで、水運の要衝であった同国二郷半木売川戸(吉川市木売よしかわしきうり)にも道場を設け、西光院(現在の清浄寺)と名づけたと伝えられる。
西念は、木売と野田とを行き来しながら念仏弘通ぐづうの生涯を送り、正応2(1289)年、この地において百八歳で往生を遂げたという。

おむく様

清浄寺に安置される「聖人御真影(木像)」は、聖人八十九歳のとき、上洛した西念に形見として与えたものと伝えられる。
建武の乱(1335年)のとき、兵火を恐れた西光院三世西順は、この木像を門前に埋め隠したという。後に四世了西のときに、埋めた場所がむくむくと動き、村人が掘ったところ木像が出土したと伝えられている。
そのため、この「御真影」は「おむく様」と呼ばれ、西光院境内の別堂に安置され、当地の人々から篤い信仰を得てきた。

おむく堂の寺院化

西光院は長らく真言宗となっていた。天保9(1838)年、おむく様を伝えてきた別堂は、下総国野田の醤油醸造業の茂木佐平治(五代目)の篤志により堂宇が新築され、このとき西光院から独立し浄土真宗の清浄寺として寺院化された。真言宗西光院はその後廃寺となった。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 楠井山 清浄寺
住所 埼玉県吉川市木売2-20-5
アクセス 武蔵野線吉川駅から徒歩5分。
常磐自動車道三郷ICを出て、県道67号線に進む。天神一丁目交差点を左折後、4キロ先
駐車場 普通車30台
お問合せ TEL 048-981-6000

二十四輩寺院