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二十四輩第七 西念
長命寺(南堀)
寺伝によると、開基西念の俗姓は井上次郎道祐といい、清和源氏の末裔で、信濃国高井郡を本拠とする豪族、井上氏の出身とされる。寿永元(1182)年、井上盛長の子として生まれたと伝えられる。
道祐の発心
道祐は幼くして父を亡くし、母とともに水内郡駒沢(長野市上駒沢)で暮らした。道祐の父は生前、自分は武士の家に生まれ人を殺す罪を犯したことで地獄に堕ちるに違いないと語り、道祐には出家し父母の菩提を弔ってほしいと告げたという。やがて成人して無常を観じた道祐は、父の遺言により出家を思い立ち、師を求め越後居多ケ浜の五智国分寺に参籠。ここで配流中であった親鸞聖人の弟子となり、西念という法名を授かったと伝えている。
建保2(1214)年、親鸞聖人が越後から関東へと赴く際には、西念も従った。そして西念は自らの布教拠点として、井上一族の所領であった武蔵国足立郡野田(さいたま市)に坊舎を建立した。これが長命寺の始まりとされる。
「長命寺」の寺号の由来
西念は聖人の帰洛の際も同行し、その後もたびたび上洛して親鸞聖人を訪ねたという。聖人の晩年、西念は六字名号と真影を賜り、帰国した後は聖人に仕える如く給仕したという。
正応元(1288)年、本願寺第三代覚如が東国巡回した折、西念はすでに百七歳になっていた。覚如はその姿に会い感心し「長命寺」という寺号を与えたという。翌正応2(1289)年3月、体調を崩した西念は、寿像に向かい端座合掌して、百八歳にて往生を遂げたと伝えられている。
長命寺の移転
鎌倉幕府が衰亡し南北朝時代に入るころ、足立郡野田にあった長命寺は戦乱により破却される。時の住職第三世西祐は、建武2(1335)年、井上氏を頼って信州へ移り、西念の故郷である駒沢に寺基を定めた。その後、永正16(1519)年、布野(長野市柳原)に移り、さらに元禄13(1700)年に現在の南堀に移転した。
『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用
正式名称 | 足立山 長命寺 |
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住所 | 長野県長野市南堀346 |
アクセス | JR武信越本線北長野駅から徒歩20分。長野電鉄朝陽駅から徒歩約5分。 上信越道須坂長野ICから車で15分。 |
駐車場 | 普通車30台 |
参拝 | 事前連絡が必要 |
お問合せ | TEL 026-243-3024 |