二十四輩第十三 信願

観専寺かんせんじ

<t_029>観専寺

観専寺の開基・信願は、佐竹一族の佐竹義隆の次男・稲木次郎義清といい、常陸稲木(茨城県常陸太田市)の城主であったと伝えられている。

天台僧義空の帰依

寺伝によると、義清は、最愛の一子を失い世の無常を観じ、出家し天台僧となり義空と名のった。
建永元(1206)年には天満宮の霊告により宇津(現在の宇都宮)の西原の地に一宇を建立、稲木山観専寺と号したと伝えられる。
建保2(1214)年、親鸞聖人が、下野国芳賀郡高田から船生ふにゅうの佐貫へと布教に向かう途中、観専寺に立ち寄られ休息したという。
このとき親鸞聖人が生死出しょうじいづべき道は本願大悲の念仏にある旨を、静かに説かれると、草木の風になびくが如くに老若男女が念仏に帰依したという。
義空も、その教えを深く領解りょうげして、法名を信願と称し、本願念仏の行者になった。その際、親鸞聖人は、庭の梅の木に託して、「咲きぬべき時こそきたれ梅の花雪も氷もとけでそのまま」と、「能発一念喜愛心のうほついちねんきあいしん 不断煩悩得涅槃ふだんぼんのうとくねはん」(「正信偈」)のこころを詠んだと伝えられている。

聖人との再会

観専寺の伝承によれば、親鸞聖人帰洛後の宝治元(1247)年、信願は師を慕って上洛し、五条西洞院に七十五歳となった聖人を訪ねた。このとき聖人は信願に自らの画像を授け、「仏恩ぶっとん師の恩を報ずるというは、自信教人信じしんきょうにんしんにしくものはなし、有為の別れを悲しむなかれ、親鸞が心行この画像中にあり」と告げたと伝えられている。
信願は関東に帰り、聖人から相承そうじょうした他力念仏の教えを人々に説き、常陸・河内・三河の数カ所に草庵を建てたという。そして正嘉2(1258)年、信願は示寂したと伝えられている。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 稲木山 観専寺
住所 栃木県宇都宮市材木町6-11
アクセス 東武宇都宮駅から徒歩10分。
東北自動車道鹿沼ICを出て、県道6号線に入る。約6キロ先の滝谷町交差点で平成通りに入り、その先の陽西通りを左折。約1キロ直進し、その後右折。
駐車場 普通車20台
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 028-636-3551

二十四輩寺院