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二十四輩第十三 信願
観専寺
観専寺の開基・信願は、佐竹一族の佐竹義隆の次男・稲木次郎義清といい、常陸稲木(茨城県常陸太田市)の城主であったと伝えられている。
天台僧義空の帰依
寺伝によると、義清は、最愛の一子を失い世の無常を観じ、出家し天台僧となり義空と名のった。
建永元(1206)年には天満宮の霊告により宇津(現在の宇都宮)の西原の地に一宇を建立、稲木山観専寺と号したと伝えられる。
建保2(1214)年、親鸞聖人が、下野国芳賀郡高田から船生の佐貫へと布教に向かう途中、観専寺に立ち寄られ休息したという。
このとき親鸞聖人が生死出づべき道は本願大悲の念仏にある旨を、静かに説かれると、草木の風になびくが如くに老若男女が念仏に帰依したという。
義空も、その教えを深く領解して、法名を信願と称し、本願念仏の行者になった。その際、親鸞聖人は、庭の梅の木に託して、「咲きぬべき時こそきたれ梅の花雪も氷もとけでそのまま」と、「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」(「正信偈」)のこころを詠んだと伝えられている。
聖人との再会
観専寺の伝承によれば、親鸞聖人帰洛後の宝治元(1247)年、信願は師を慕って上洛し、五条西洞院に七十五歳となった聖人を訪ねた。このとき聖人は信願に自らの画像を授け、「仏恩師の恩を報ずるというは、自信教人信にしくものはなし、有為の別れを悲しむなかれ、親鸞が心行この画像中にあり」と告げたと伝えられている。
信願は関東に帰り、聖人から相承した他力念仏の教えを人々に説き、常陸・河内・三河の数カ所に草庵を建てたという。そして正嘉2(1258)年、信願は示寂したと伝えられている。
『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用
正式名称 | 稲木山 観専寺 |
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住所 | 栃木県宇都宮市材木町6-11 |
アクセス | 東武宇都宮駅から徒歩10分。 東北自動車道鹿沼ICを出て、県道6号線に入る。約6キロ先の滝谷町交差点で平成通りに入り、その先の陽西通りを左折。約1キロ直進し、その後右折。 |
駐車場 | 普通車20台 |
参拝 | 事前連絡が必要 |
お問合せ | TEL 028-636-3551 |