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二十四輩第二十三 唯信(幡谷)
覚念寺
覚念寺の伝承によると、開基・唯信は、俗姓を佐々木左衛門尉源高重という。父は源頼朝の御家人として有名な佐々木高綱で、その三男とされる。
覚念寺の起こり
建保6(1218)年、高重三十三歳のとき、世の無常を観じ出離の志をいだいて、稲田草庵に親鸞聖人を訪ね、専修念仏の教えを聞いて弟子となり、法名を唯信と賜ったと伝えられる。
その後、唯信は那珂郡小瀬の畠谷(常陸大宮市下小瀬)に一宇を建て、覚念寺と名づけたと伝えられている。
天正8(1580)年、小瀬領主の山形信濃守が佐竹義宣によって滅ぼされたとき、覚念寺も兵火にかかり焼失した。しかし間もなく、文禄4(1595)年には再建。さらに慶長5(1600)年、藩命により現在地である金沢に移った。
水戸藩主・徳川光圀は、覚念寺をたびたび訪れたといわれている。
幕府の御家人としての佐々木一族
佐々木氏は宇多天皇の皇子・敦実親王の子孫で、唯信の祖父・佐々木秀義や父・佐々木高綱らは、源頼朝の平家追討で戦功を挙げ、鎌倉幕府成立後、一族は近江をはじめ各地の守護職に任ぜられて幕府の重臣としての地位を築き上げている。
唯信と父・高綱
唯信の父・佐々木高綱は、長門や因幡・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・日向等、各国の守護を歴任し、東大寺再建の際は材木奉行を務めている。後に建仁2(1202)年には高野山に入り出家したといわれる。
佐々木高綱開基と伝えられる寺院は全国各地に多く、長野県松本市島立の正行寺には高綱の墓がある。同寺の伝承では高綱が、越後の小丸山に親鸞聖人を訪ね弟子となり、了智と名のって信濃国に正行寺を創建したと伝えている。この伝承によるならば、了智・唯信の父子ともに、相次いで親鸞聖人の弟子になったことになる。
『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用
正式名称 | 畠谷山清岸院 覚念寺 |
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住所 | 茨城県日立市金沢町4-14-24 |
アクセス | 常磐自動車道日立南太田ICを出て、国道6号線を北上。約7キロ先の金沢団地入口の信号を左折。500メートルほど進み左折。約150メートル先。 |
駐車場 | 普通車40台 |
参拝 | 事前連絡が必要 |
お問合せ | TEL 0294-34-5755 |