二十四輩第二十四 唯円

本泉寺ほんせんじ

<t_046>本泉寺

本泉寺の寺伝には、開基・唯円ゆいえんの俗姓は鳥喰とりばみ六郎兵衛尉ろくろうひょうえい朝業ともなりという武士で、安貞元(1227)年に親鸞聖人の弟子となり、法名を唯円と賜ったと記される。宝治2(1248)年、唯円は鳥喰村(茨城県那珂市豊喰)に本泉寺を建立したと伝えられる。

唯円と本願寺

寺伝によると、唯円は文永9(1272)年に如信にょしん善鸞ぜんらんの子で親鸞聖人の孫にあたる)の後見となり、また唯円九十六歳の正応元(1288)年冬より、覚如かくにょ(聖人の曾孫で後の本願寺第三代)の後見となったと伝えられている。本泉寺には文永9(1272)年付の「親鸞聖人寺号家督願」が伝わっているが、そこには、如信を本願寺第二代とすることを、門弟たちが承認したことが記録され、唯円が覚如より全幅の信頼を寄せられていたことがうかがえる。唯円は嘉元元(1303)年2月15日、百十一歳にて寂したと寺伝に記される。

本泉寺の寺基の変遷

鳥喰の地に開創された本泉寺は、天正18(1590)年、江戸氏と佐竹氏の合戦で戦火に遭い、下総古河こがに移ったという。その後一旦は鳥喰村に戻ったが、慶安2(1649)年、落雷で焼失し再び古河に移したと伝えられる。
本泉寺は寛文4(1664)年、水戸城主・徳川光圀の命により水戸領内に戻り、野上村に再興され現在に至っている。

複数の唯円伝承

通説では、唯円という人物は二人いて、本泉寺や西光寺の開基は「鳥喰の唯円」と呼び、報仏寺や立興寺の開基は「河和田かわわだの唯円」と呼んで、別人とされる。
しかし、願入寺がんにゅうじ所蔵の『二十四輩牒』には「唯円御房跡信浄奥郡トリハミ」と唯円という名は一人のみが記され、また『親鸞聖人門侶交名牒』にも「唯円常陸住」と一人だけしか見あたらない。そうした理由で、河和田唯円と鳥喰唯円は同一人物だとする説もある。唯円の足跡は常陸のみならず近畿圏にも及ぶことから、河和田にも鳥喰にも道場を開いたとみることもできる。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 鳥喰山遊院 本泉寺
住所 茨城県常陸大宮市野上1264
アクセス 常磐自動車道那珂ICをおり、右折して2㎞(バードライン)国道118号に出る。(飯田大洞)そこを右折して、16㎞北上する。右側に道の駅かわプラザがある。それより3㎞進むと、信号のある十字路小貫入口があり、そこを左折して1㎞、左側に本泉寺がある。
駐車場 普通車10台
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 0295-57-3177

二十四輩寺院