二十四輩第十三 信願

慈願寺じがんじ(健武)

<t_028>慈願寺

寺伝の『粟野山慈願寺略縁起』では、開基・信願の俗姓は稲木三河守義清といい、佐竹氏の始祖・佐竹昌義まさよしの孫にあたるとされる。

粟野鹿崎に開創

義清は、稲木(茨城県常陸太田市)の城主であったが遁世し、始めは慈清と名のっていた。後に稲田に親鸞聖人を訪ね、弟子となり法名を信願房定信と改めたと伝えている。
天福元(1233)年、信願は常陸国粟野鹿崎(現・茨城県東茨城郡城里町)に道場を建立し、人々に教えを広め、正嘉元(1257)年、彼の地で入寂したと寺伝は記している。

健武の親鸞堂

現在地である健武にも、信願は道場を開いている。ここは、稲木家に仕える和久勝介が、信願に随伴し稲田に通ううちに弟子となって定念と名のり、故郷に聖人と信願を招いて開創された。信願は聖人から授かった自刻の真影しんねいを本尊としてこの道場に安置。以来「親鸞堂」と地元では呼ばれてきた。
慈願寺の号は、正応3(1290)年、慈願寺第三代慈慶のとき、覚如が東国巡回で、粟野と健武の両道場を訪れた折につけたとされる。

慈願寺と大山

第三代の慈慶は、一族の本家である常陸の領主・佐竹義胤・行義の父子から深い帰依を受け、那珂西郡の大山に一宇を提供され優遇された。しかしその後、大山の堂宇は兵火により焼失したため、第四代の唯願は大畠(常陸大宮市)に道場を開いたと、寺伝は伝えている。
大山は、親鸞聖人ゆかりの地で、大山草庵が置かれていた地であった。この地には、江戸期に社寺整理政策により廃寺となるまで浄土宗慈願寺が存在していたことが確認されている。
信願により開かれた慈願寺は、寺基を転々としたが、天正8(1580)年、第十二代了願のときに健武の地を寺基と定めて再興し、現在に至っている。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 粟野山無量光院 慈願寺
住所 栃木県那須郡那珂川町健武1220
アクセス 東北自動車道矢板ICを出て、国道4号線に。2キロほど先の片岡交差点を左折し、県道74号線に入る。10キロほど直進し、旭町交差点を斜め左に折れる。国道293号線に入り、16キロほど直進し、右折。さらに300メートルほど進み左折。その先約1キロ。
駐車場 普通車60台
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 0287-92-2326

二十四輩寺院