二十四輩第十五 入西

枕石寺ちんせきじ

<t_032>枕石寺

枕石寺の開基は入西房道円にゅうさいぼうどうえんと伝えられる。
寺伝によると入西は、俗姓を日野左衛門尉頼秋よりあきという武士で、ゆえあって近江から流され、常陸国久慈東郡大門おおかど(常陸太田市、下大門町)に隠棲していた。建暦2(1212)年11月27日の雪の日、頼秋の屋敷に一夜の宿を請う僧が訪れた。その僧こそ親鸞聖人であったという。

『枕石』の伝承

寺伝によると、一宿を願う親鸞聖人を、頼秋は「樹の下、石の上を宿とするのが出家の習いではないのか」と追い出した。ところが深夜になって、頼秋はその僧が阿弥陀如来の化身だという観世音菩薩の夢告を受けた。戸外に出てみると、降り積もる雪の中、門前で石を枕にしてひたすら念仏を称える聖人の姿があった。頼秋は深く後悔し手厚く迎え入れ、聖人の弟子になったという。
この屋敷が枕石寺の発祥なり、今もその『枕石』は宝物として残っている。現在地(常陸太田市上河合町)には、天文9(1540)年に移ったと寺伝は伝えている。

『御伝鈔』の入西観察

御伝鈔ごでんしょう』には、入西が親鸞聖人の真影しんねいを描写したいと願い出たときの逸話が記されている。
入西から真影の描写を依頼された定禅法橋じょうぜんほうきょうという絵師が、親鸞聖人にお会いしたところ、前日、夢に見た僧とまったく同じ容貌であることに驚き感激したという。その夢とは法橋が「善光寺の本願の御房」と呼ばれる人物を描写したというもので、夢と同じ人物を目のあたりにした法橋は、聖人こそ生身の阿弥陀如来に違いないと、身の毛がよだつほど敬服したという。
『御伝鈔』の著者である覚如も、この話を取り上げることで、親鸞聖人は阿弥陀如来の化身であり、その教えは如来の直説であると讃えているのである。
この逸話は、仁治3(1242)年の出来事と記されるので、親鸞聖人七十歳のときのこととなる。聖人から真影の製作を許されたということ自体、入西が聖人から深い信頼を得ていたと推察される。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 大門山傳燈院 枕石寺
住所 茨城県常陸太田市上河合町1102-1
アクセス JR水郡線河合駅から徒歩約10分。
常磐自動車道那珂ICを出て、国道349号線下河合交差点を左折し、国道349号線旧道に。上河合十文字を右折し、踏切を越えたらさらに左折。道なりに約500メートル先。
駐車場
参拝 宝物の拝観は要予約
お問合せ TEL 0294-87-6310 FAX 02914-87-6311

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