2018(平成30)年の法語・法話

表紙

阿弥陀仏は 光明なり 光明は 智慧のかたちなり

Amida Buddha is the illuminating light, expressing wisdom.

『唯信鈔文意』
1月

帰命ともうすは 如来の勅命に したがうこころなり

Taking refuge” is to follow the command of the Tathāgata.

「尊号真像銘文」『真宗聖典』五一八頁
2月

信心のさだまるとき 往生またさだまるなり

At the very moment that shinjin is settled, so is birth.

『末燈鈔』
3月

本願をききて 疑うこころなきを 聞というなり

Hearing” is to listen to the Primal Vow and so be free of doubt.

「一念多念文意」『真宗聖典』五三四頁
4月

回心というは 自力の心を ひるがえし すつるをいうなり

Conversion means overturning and discarding self-power.

『唯信鈔文意』
5月

かの如来の 本願力を観ずるに 凡愚遇うて 空しく過ぐるものなし

Once realizing the power of the Tath?gata’s Primal Vow, nobody can pass it by untouched.

「入出二門偈頌文」『真宗聖典』四六一頁
6月

自力の 御はからいにては 真実の報土へ 生まるべからざるなり

We can never be born in the true and real Pure Land through self-power calculation.

『親鸞聖人血脈文集』
7月

雑毒の善をもって かの浄土に回向する これ必ず不可なり

How pointless it is to try to direct the merit of our own tainted good deeds in order to be born in the Pure Land.

「浄土文類聚鈔」『真宗聖典』四一六頁
8月

凡夫は すなわち われらなり

Foolish beings are indeed us!

『一念多念文意』
9月

まことの信心の人をば 諸仏とひとしと もうすなり

A person of true shinjin is said to be equal to buddhas.

「御消息集(善性本)」『真宗聖典』五八八頁
10月

煩は 身をわずらわす 悩は こころをなやますという

Bonnō means earthly desires , tormenting us and afflicting our hearts and minds.

『唯信鈔文意』
11月

聞というは 如来のちかいの御なを 信ずともうすなり

“Hearing” means to entrust ourselves to the Name, embodying the Tathāgata’s Vow.

「尊号真像銘文」『真宗聖典』五一三頁
12月

自然というは もとより しからしむるという 言葉なり

Jinen signifies the way things are caused to be originally.

『末燈鈔』

2018年の法語について

最近、駅のホームや電車やバスの車内などでは、本を読んでいる人は少なく、多くの人がうつむき加減でスマートフォンを触っている姿を見かけます。

様々な情報をすぐに入手できる反面、どこまでが本当の情報なのだろうかとさえ疑ってしまいます。そのように多くの情報が渦巻く中、たくさんの文字に接している私たちですが、しかし、どれほどの人が出会った言葉を大切にしているでしょうか。

私たちは、思いを満たしてくれる言葉を探し続け、自らの生きざまを問う言葉に出会うことはなかなか難しいようです。

"あなたは、どんな言葉につかまれていますか"

私たちは生涯を通して、たくさんの言葉に出会います。多くの情報の中から、多くの書籍の中から、言葉との出会いは私の人生に光をあて、そこにある言葉が私に迫り、励まされ喜び、時に涙する、悩まされ、考え続けることもあります。

人はひとりの人との出会いから、ひとつの言葉との出会いから生きる意欲を賜っていくのではないでしょうか。

今年のカレンダーは、親鸞聖人の『浄土文類聚鈔』、『入出二門偈頌文』、『尊号真像銘文』、『一念多念文意』、『唯信鈔文意』、『御消息』の中から、各派共にご門徒の方々がふれることのできるお言葉を掲載いたしました。

ひと月にひとつの言葉を味わいながら、仏法に身を浸し、言葉につかまれる、親鸞聖人のお言葉を憶念する一年を送っていただきたいと願っています。