真宗出雲路派 毫攝寺

所在地 福井県越前市清水頭町第2号9番地
連絡先 TEL 0778-27-1224(代)
門 主 第26代門主 藤 光真(釋 善志)
宗務長 茨田 宣丸
公式サイト

https://www.goushouji.jp/

報恩講 11月22日~28日

沿革

当山、真宗出雲路派本山毫攝寺は、1233(天福元)年宗祖親鸞聖人が京都上加茂、下加茂の間の出雲路に一宇を草創されて以来、第五世善幸上人の御代、1338(暦応元)年に越前水落の辺り山元の庄(鯖江市神明町)に移転されました。ここに第十一世善秀上人の御代に至るまで在住されましたが、同上人には御法嗣がないので京都柳原大納言より嗣子を迎え、第十二世善照上人として法灯を継がれました。
慶長年間、善照上人の御代(1596年)に現在の地、味真野地区清水頭に移転しました。(ここには、もと太子堂があり、先に秀吉より除地朱印を頂いていた)これより漸次諸堂の再建が成り、徳益広く伝わり、宗勢はとみに栄え、法灯綿綿として今日に伝承されています。
尚、毫攝寺は光明天皇、後柏原天皇および後陽成天皇から勅願所の綸旨を賜っている。昭憲皇太后のゆかりもあり、明治天皇のご料物が蔵されている外、第二十四世(前代)善解上人が渡印された縁により、パンナティッサ大僧正より佛舎利が捧呈されています。

境内と建物

阿弥陀堂

阿弥陀堂

1884(明治17)年造営。方便法身の阿弥陀如来の尊像を安置し、聖徳太子御自作の尊像及び七高僧を奉安する。本堂、即ち阿弥陀堂は、御影堂と同年の造営で、総欅造りの壮麗にして尊厳さに満ちた堂宇です。一本の柱、一渡りの虹梁、一枚の板戸を見ても、結集された門信徒の念力が偲ばれます。両余間の襖絵は、菱川師福の作。

阿弥陀堂門

阿弥陀堂門

1811(文化8)年造営。男性的な御影堂門と対照的な優美な曲線を描く唐破風造り、青銅葺の優雅な総欅の御門です。正面には越前松平家の三つ葉葵の紋が浮き彫りとなっており、両脇の躍動感あふれる鯉の滝登りの彫刻はすべて一枚彫りです。また、礎石を用いず、石に似せた加工が施された欅の柱は、大変興味深いものとなっています。

御影堂

御影堂ごえいどう

宗祖親鸞聖人の御木像を中央に、前代上人、列祖上人の御影を両脇に安置し、余間には十字名号、九字名号を奉掲する二十間四面、総欅造りの大伽藍です。現在の堂宇は、1884(明治17)年の造営で、その碧瓦、白壁は高樹の間に聳え、本山布教伝道の根本道場です。内陣天井画並びに上檀縁の画は、近世画壇の泰斗菱川師福の力作として注目されています。

御影堂門

御影堂門

1811(文化8)年造営。正面の豪荘、雄渾な欅造りの総門です。前面、十数幹の松並木にそって門前通を形成し、通用門から両堂門をつらね鐘楼まで続く五ツ筋塀は、聖域の風致に優雅さを加えています。旧来は、赤瓦に笏谷石の鬼瓦が乗せられていましたが、落下の危険性から近年の改修により下ろされています。

太鼓堂

太鼓堂

1788(天明8)年造営。木造3階建で、上層に大太鼓が吊るされています。 1階は布教の座が開かれる総会所、2階は参詣者の宿泊所になっています。この建物は、本山の諸堂の中で最も古い建造物です。

鐘楼堂

鐘楼堂

1811(文化8)年造営。東南隅の十二本柱入母屋造りの鐘楼は、越前笏谷石の重層の上に建立され、三手斗供腰組蓮台高欄仕立、扇垂木総欅造りの全国でも数少ない絢爛豪壮なものです。大鐘は希望に明ける暁を告げ、その梵音はあまねく十万に響き渡り、人類の平和を永遠に願うものであります。

年間行事

3月18日より1週間 春季彼岸会
4月15日 立教開宗記念法要
6月中旬 総永代経
8月14日~15日 盆会
8月27日~28日 大寄り
9月20日より1週間 秋季彼岸会
11月 のゑ女法要
11月22日~28日 御正忌報恩講

アクセス

交通案内

公共交通機関でお越しの場合
●JR北陸本線 武生駅よりタクシーで約20分。
●JR武生駅前より「福鉄バス 池田線」に乗車。「五分市本山口」下車(約30分)後、徒歩5分。
車でお越しの場合
北陸自動車道 武生インターから約15分。