2017(平成29)年の法語・法話
表紙 |
仏恩ふかくおもいつつ つねに弥陀を念ずべし Reflecting deeply on the Buddha's benevolence, let us think on Amida always. |
三帖和讃 |
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1月 |
無明の闇を破するゆえ 智慧光仏となづけたり The light dispels the darkness of ignorance. Thus, Amida is called "Buddha of the Light of Wisdom." |
三帖和讃 |
2月 |
如来すなわち涅槃なり 涅槃を仏性となづけたり Tathagata is none other than nirvana, and nirvana is called Buddha-nature. |
三帖和讃 |
3月 |
一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ People who attain the one thought-moment of joy, their birth becomes completely settled. |
三帖和讃 |
4月 |
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなうなり Those who hear the Buddha's Name attain forever the stage of nonretrogression. |
三帖和讃 |
5月 |
大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり The great entrusting heart is itself Buddha-nature, Buddha-nature is none other than Tathagata. |
三帖和讃 |
6月 |
弥陀の回向成就して 往相・還相ふたつなり Amida has fulfilled the directing of virtue, which has two aspects: that for our going forth and that for our return. |
三帖和讃 |
7月 |
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし The treasure ocean of virtues is overflowing, and for those who enter it, the defiled waters of their blind passions not separated form it. |
三帖和讃 |
8月 |
金剛心は菩提心 この心すなわち他力なり The diamondlike mind is the mind aspiring for enlightenment, and this mind is itself Other Power. |
三帖和讃 |
9月 |
願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず The power of the Vow is without limit. Thus, even our karmic evil, deep and heavy, is not oppressive. |
三帖和讃 |
10月 |
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし All should say Namo Amida Butsu constantly, whether they are awake or asleep. |
三帖和讃 |
11月 |
信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ It is by entering the wisdom of the entrusting heart that we become person who respond in gratitude to the Buddha's benevolence. |
三帖和讃 |
12月 |
弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう Since the Name is directed by Amida, its virtues fill the ten quarters. |
三帖和讃 |
2017年の法語について
科学技術の進歩発展は目覚ましく、その恩(おん)恵(けい)に浴して海外旅行なども容易になり、人の往来がたいへん盛んです。またインターネットが急速に広がり、携帯電話やスマートフォンなどで多くの人たちと速やかに交流ができるという、まことに便利な時代であるといえるでしょう。しかし一方で、テロや爆撃、難民の大移動など、世界中が不穏な状況にあり、変化してやまない苦悩の世であることを痛感します。
そのような時代に生きるものとして仏法に出(で)遇(あ)い、宗祖親鸞聖人のお導きに出遇えたことは、この上ないことであり、煩(ぼん)悩(のう)具(ぐ)足(そく)の凡(ぼん)夫(ぶ)である姿をしっかりと見つめつつ、お念仏の道を歩ませていただくほかはないとあらためて決意するところです。
親鸞聖人は多くのご著述を遺(のこ)してくださり、そのおかげで私たちはみ教えに出遇う場をいただいています。中でも比較的晩年になって多くのご和(わ)讃(さん)をおつくりになり、五百首以上が遺されています。
「和讃」は平安時代に始まった今(いま)様(よう)形式の和語の歌で、七五調の四行からなり、多くは仏法僧の三宝を讃嘆する内容です。親鸞聖人のご和讃は、童謡のように親しみやすい語句を用いてみ教えの真(しん)髄(ずい)を詠われ、田畑を耕しながら、あるいは山や川で仕事をしながら、味わわれてきました。
中でも、浄土教について阿弥陀仏とお浄土を讃えられる『浄(じょう)土(ど)和(わ)讃(さん)』、七高僧のお導きとお徳を讃える『高(こう)僧(そう)和(わ)讃(さん)※(浄土高僧和讃)』、末法の世にある凡夫の救われるみ教えを讃える『正(しょう)像(ぞう)末(まつ)和(わ)讃(さん)※(正像末法和讃)』の三帖は、「三(さん)帖(じょう)和(わ)讃(さん)」として親しまれています。
二〇一七(平成二十九)年の法語カレンダーは、親鸞聖人のご和讃を毎月の法語に選び、日常生活においてその味わいを深めていただこうとするものです。殺伐とした空気の漂う現代社会で世界の平和を願いつつ、ご和讃を味わうことといたしましょう。