真宗木辺派 錦織寺
所在地 | 滋賀県野洲市木部826 |
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連絡先 | TEL 077-589-2648(代) |
門 主 | 第23代門主 木邊 顯慈 |
宗務長 | 髙田 信良 |
公式サイト | |
報恩講 | 11月21日~28日 |
沿革
真宗木辺派の本山、錦織寺は、858(天安2)年、第3代天台座主・円仁の指示により、近江国木辺の地に御堂(天安堂)が建てられ、伝教大師最澄が刻んだという毘沙門天立像が安置されたことに起源をもちます。
1235(嘉禎元)年、親鸞聖人が関東から京都に帰る途中、天安堂に逗留され、常陸国霞が浦で感得した阿弥陀如来座像を安置して、真宗念仏の教えを説かれたとされており、この時から、湖東地方における真宗の拠点となっています。
現在の建物は、1694(元禄7)年の火災後の再建になり、このうち大広間は東山院御所「御盃之間」を移築したもので、襖絵は狩野永寂の筆。また、庭園には元禄の再建以前の石組が残ります。
御影堂の本尊には、主著「教行信証」を完成された親鸞聖人の歓びの様子を描いた「満足の御影」とよばれる絵像が安置されています。
境内と建物
天安堂
858(天安2)年、慈覚大師円仁師が毘沙門天像を安置するため、この木部の地に建てられました。その後、火災により建物は焼失し、現存のお堂は1861(文久元)年に再建されたものです。
親鸞聖人が帰洛の途中、天安堂にお泊りになった際、毘沙門天の夢告によってこの地に留まり布教をなさったことが錦織寺起立の原点となりました。
阿弥陀堂
1831(天保2)年に再建されたお堂で、ご本尊は親鸞聖人が霞ヶ浦にて感得された一尺八寸の阿弥陀如来像(坐像・木像)です。
寺伝には、天女が舞い降り紫香の錦を織ったとされ、四条天皇より「天神護法錦織之寺」の勅額を下され、これが寺号の由来となりました。お堂正面の欄間には錦を織る天女の姿が美しく彫刻されています。
御影堂
1703(元禄16)年に再建され、現在、滋賀県建造物文化財として指定されています。親鸞聖人が当山にご滞在中に「顕浄土真実教行証文類」全六巻の内、最後の二巻、 真仏土・化身土之巻を作成された歓びを、門侶の請いによりご自身で真正面向きに描かれたという「満足の御影(みえい)」を奉安しています。
東山御殿
中興・良慈上人が錦織寺に入寺、継承なさったお祝いとして、閑院宮家より、かつて東山天皇がご隠居なさっていた仙洞御所の書院(御盃之間)を頂戴し、この地に移築しました。
宮中の記録にも残る貴重な建物で、入母屋(いりもや)・桧皮葺(ひわだぶき)(現在は鋼板葺)という、歴史と風格ある書院造となっています。
表門(一の門)と築地塀
1716~1737(享保)頃の再建とされる門で、滋賀県建造物文化財として指定されています。表門からは門跡寺院の印である五本の定規筋の入った築地塀(ついじべい)がつながっています。表門正面に立ちますと、表門から中門(二の門)、御影堂と棟が順に高く連なる姿を見ることができます。また、真宗寺院では珍しい下乗石が立っています。
年間行事
1月1日 | 修正会 |
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1月16日 | 天安堂建立記念法要 |
3月10日 | 涅槃会 |
3月の1週間 | 春季讃仏会(彼岸会) |
5月16日 | 宗祖ご来錫記念法要 |
5月21日頃3日間 | 春季法要 宗祖降誕会・戦没者追弔会・初参式・成人式他 |
8月13日~16日 | 歓喜会(お盆)法要 |
9月16日 | 錦織寺開創記念法要 |
9月の1週間 | 秋季讃仏会(彼岸会) |
11月21日~28日 | 御正忌報恩講 菊華展・お講・仏婦大会・生け花展・茶席他 |
12月31日 | 除夜会 |
アクセス
交通案内
- 車でお越しの場合
- ●栗東・竜王インターより約25分
●びわこ大橋より約20分 - 電車でお越しの場合
- JR琵琶湖線 野洲駅からタクシーで15分