2025年 4月の法語・法話

この私のいのちにいつも如来のいのちが通い続けている

The life of the Tathagata is a part of my life always.

藤澤 量正

法話

「人生には、三つの『坂』があると申します。一つ目は上り坂、二つ目は下り坂。そして三つ目は『まさか』です」
結婚披露宴のスピーチで聞いたことのある「人生訓」ではありますが、私は40代半ばにしてその「まさか」に見舞われてしまいました。
当時の私は、住職として法務をこなし、父親として3人の子どもを育て、大きな大会の実行委員長を引き受けるという「充実した人生」を過ごしていました。
ところが突然、趣味の自転車で大きな交通事故に遭い、病院の集中治療室に担ぎ込まれてしまったのです。病室でモニターに囲まれながら、1週間後の大きな大会も、順風満帆な日常も、握りしめていた私の手から容赦なくもぎ取られていくことを実感していました。
同時に、今までご法話で話していたご法義のお心が本当に「わがこと」として深く味わわれたのです。
「かならず救う、われにまかせよ」
阿弥陀さまの願いは、この私をお救いくださるためでありました。
仕事も、健康も、そしていのちさえも、当たり前だと思い込み自分のモノであると掴んでいた私。でも私が掴んでいたものは、何一つ当たり前ではなく、末通ったものがありませんでした。
ひとたび縁に触れれば、どんなに私が掴もうとしても私の手からもぎ取られてしまう。それが、私のありのままであったのです。

でも「まさか、こんなはずでは」というのは私の視点、私の考えであって、阿弥陀さまは、そのような私であることをすでに見通しておられました。
「あなたを救う仏に、私が成る。あなたのいのちのすべてを、私が引き受ける」
と、阿弥陀さまが願いを起こされ、そのはたらきを「南無阿弥陀仏」というお念仏に仕上げてくださったのです。
病室でお念仏申しながら、不安を抱えた私をそのまま包みこんでくださる阿弥陀さまのお心を、しみじみと味わっていました。
私が人生に行き詰まる前から、仕事や健康をもぎ取られるずっと前から、阿弥陀さまのお慈悲のぬくもりは、ずっと私に届けられていました。
私がお願いしたから救いましょう、おすがりしたから助けましょう、と仰せになるのではありません。それだったらもう私には間に合いませんから、私は救いから漏れてしまうことになります。
私がお願いするより先に、気付くよりもずっと以前に、阿弥陀さまの方から私に寄り添い、お慈悲のぬくもりが届けられていたのです。
この私のいのちに、阿弥陀さまのいのちがすでに通い続け、届いていました。南無阿弥陀仏とお念仏申すなかで、そのありがたさをしみじみと感じます。

朝戸 臣統(あさと たかつな)

本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職

  • 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

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