2021年 7月の法語・法話
Human beings are unaware of their own self, and there is nothing more difficult to know than one’s own self.
髙光 大船
法話
今から40年近く前の夏、私は友人に誘われて、神戸でとあるワークショップに参加しました。アメリカからセラピストの先生が来て、3日間、おもしろい心理療法のグループワークをするというので、当時時間があった私は、何気なく参加することにしました。
古びた旅館に、20代から40代の男女30人くらいの人が集いました。初対面の人ばかりです。最初に自己紹介をしました。企業で働いてる人、高校の先生、弁護士さん、お医者さん等、皆さん社会で活躍している人ばかりで、僧侶で暇な人は私くらいでした。
その30人がどうするかというと、まず二人一組で向き合って座り、15の組になります。そして二人組の片方が、もう一人に向かって聞きます。「あなたは誰ですか?」
すると聞かれた相手は5分間、自分のことを話します。5分間たつと鐘が鳴って、今度は先ほど答えた人が相手に聞きます。「あなたは誰ですか?」
これを1時間、交互に繰り返します。1時間たったら相手を変えます。そして同じように、5分ずつ交互に、「あなたは誰ですか?」と聞き、相手は答えます。そして1時間たったらまた新たな相手と向き合い「あなたは誰ですか?」と聞いていくのです。やったのはこれだけでした。
初日は午前10時から夜10時まで、2日目は朝8時から夜10時まで、3日目は朝から午後5時まで、これだけを延々と続けました。
最初は、「あなたは誰ですか?」と聞かれたら、「私は寺の住職です。広島から来ました」などと普通の自己紹介をして、1分程度で終わりました。あとは何を語っていくのか......。
「小学校の時、こんな先生がいました。中学の時、こんなクラブ活動をしました」などと、とにかく頭に浮かぶままに語り続けました。黙るとワークを指導する先生が、「すぐに語り続けなさい」と注意するのです。
密閉された空間で3日間「あなたは誰ですか?」と問い詰められると、心の奥に秘めていたものがだんだんと出てくるようでした。1日目は温厚だったお医者さんが、2日目の午後になると泣き始めました。無意識層に閉じ込めてあった悲しみがこみあげてきたようです。また最初はとても知的で落ち着いた雰囲気だった学校の先生が、2日目の夕方には怒りに震えながら叫び始めました。こうやって心の奥にあるものを外に出していくのが、このワークショップの目的だったようです。
そして3日目になると、みんながよく口にしたのが「寂しい」という言葉でした。「あなたは誰ですか?」と3日間も問われても、わからないのです。初めに自己紹介した時の参加者の医者や弁護士という肩書は、まんじゅうの表面の薄い皮のようなものです。中身は真っ黒な暗闇です。自分が何者かわからないまま打ち震えているのが、私たちの真のありさまだと、しみじみ思いました。
誰もが、人生において一番大切で中心となる私というものがわかっていないのです。人間は我を知らず、また我ほど知り難いものはないのです。 でもその時私には、お念仏が出ました。「なまんだぶ、なまんだぶ」と。そうなんです。自分が誰であるのかわからないままの私をそのまま抱いていてくださるのが、阿弥陀仏なのです。
福間 義朝(ふくま ぎちょう)
浄土真宗本願寺派布教使、布教研究課程専任講師、広島県三原市教専寺住職
- 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
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