共同宣言
真宗教団連合結成30周年共同宣言
私たち真宗教団連合は、結成以来、過去の歴史において教団が犯してきた戦争協力・人間差別の過ちに向き合い、宗祖親鸞聖人の教えに立ち返り、教団の体質を変革すべく自らに問い続け、社会の不安と混迷を直視し、世界平和の進展への貢献につとめてきました。
このたび、当連合の30周年を迎えるにあたり、私たちは浄土真宗の教えに導かれ、21世紀に向けて新たな共同宣言をいたします。
20世紀の終わりにあたって
現代を生きる私たちは、科学の発達による明るい未来と、経済的繁栄による人間の幸せを追い求めるという一元化された価値観のもとに20世紀を過ごしてきました。経済的繁栄という心地よい生活は、大量生産、大量消費、大量廃棄という結果をもたらし、大量生産は森林破壊による地球砂漠化を、大量消費は地球温暖化を、そして大量廃棄は地球汚染化を急速に進めてきました。
また、その経済的繁栄のために形成された競争社会は、他に勝つことだけに心を奪われ、人間同士の信頼関係を喪失せしめ、家庭は崩壊し、教育は荒廃するという状況をも作り出しました。その結果、人間として豊かな生活を求めることは当然の権利であるという、そのヒューマニズムへの驕りが人間自らの存在を危機に追い込んでしまった時代と言えます。 こうした目先の繁栄を追い求める人間の欲望は、今日も増幅するばかりで止まるところを知りません。そして、人間は現世主義に陥り、健康と長寿をひたすら願望する心しか持てなくなり、本来、仏教はそのような心の暗闇を照らす光であるにもかかわらず、現実にはその願望に応えるだけの現世利益信仰となってしまったのではないでしょうか。
科学の発展による明るい未来を追い求めて生み出してしまったこのような不幸と悲劇が渦巻く20世紀の終わりにおいて、仏教者の責務の重さを感ぜずにはおれません。いかなる正義の名のもとにおいても戦争を絶対に是としない平和と、"いのち"の平等を説く真宗は、人間にとっての真の幸せとは何かを、苦悩の深い時代社会にあって今こそ明らかにしなければなりません。
21世紀への課題
ところで、このような私たちのあり方から、どのような21世紀が予想されるでしょうか。
例えば、コンピュータ等の普及による過剰なまでの情報化社会の問題があります。まさに現世主義に陥っている人間の欲望を満たさんがための情報が氾濫し、真に必要な情報が発信され難く、また、伝わりにくいという時代となるのでしょう。その社会においては、血の通った人間同士の関係性は希薄となり、人間を見失い、終には自らが人間であることを喪失していくことさえ予測しなければなりません。
また、すでに容認されている脳死臓器移植はさらに進み、遺伝子操作によってさまざまな病いの克服も可能となるでしょう。そして、この臓器移植は善意として、遺伝子操作は難病の克服として、ともにヒューマニズムの精神として広く受け止められ始めています。
しかしながら、臓器移植を可能にするために、「脳死」を人の死としていく発想の根底に、死という厳粛な事実に対してさえ、役に立つか立たないかという人間の人知による"いのち"の選別があるといえないでしょうか。ヒューマニズムの精神は、どこまでも人間のもつ人知であります。そしてその人間の人知そのものがもつ闇、無意識の内に功利主義に毒された無明性を、宗祖親鸞聖人は徹底して見定めておられます。
このように20世紀は、ヒューマニズムそれ自身が人間存在を危険にするという、その限界が明らかになった時代でもあります。そのヒューマニズムを超える英知を求めるならば、それは仏教を措いて他に道を見い出すことはできません。今こそ仏教精神によって人間の本質を問い続けることを明らかにしている、真宗の教えに立ち返るときであります。
真宗の教えに生きる
真宗とは、釈尊を教主と仰ぐ仏教です。教主釈尊は、今から約2500年前のインドにおいて、人々が差別されている現実を直視し、それを厳しく批判して、生きとし生けるすべての"いのち"は、無数無量の因縁によって成り立っているのであり、その意味においてすべての生きとし生けるものは平等であると宣言されました。そのことを宗祖親鸞聖人は、「御同朋御同行」の精神としていただかれたのです。
それを、今日において受け止めるならば、経済的繁栄の中で人間同士の信頼関係を喪失し、一人で生きていると錯覚し、ひたすら現世での健康と長寿を願望し、自らの欲望の充足のみを求めて生きる私たちに対して、人間とは、決して一人では生きられず、さまざまな関係性の中でただ今を生かされている存在であることに気づけという、"いのち"そのものからの呼びかけといえましょう。
この"いのち"そのもののはたらきこそが、阿弥陀如来の本願なのです。この呼びかけに目覚める時、その時こそが、人間が人間であり続けることが困難となる21世紀に向かって、人間であることを問い続ける力となりえるのです。そして、私たちの"いのち"は生かされている"いのち"であり、私の"いのち"は私のものではなかったと、"いのち"を私有化しているあり方が慚愧され、私たちに大いなる"いのち"の世界が開かれてくるのです。
この生かされ、願われている"いのち"への自覚を促すのが南無阿弥陀仏の念仏であり、真宗の教えなのです。私たちは、この自覚において、人間同士が相争うこと、差別しあうことのない平和と平等の世界の実現に向かって、真の幸せを求めて生きる道が開かれていることを確信し、ここに次のとおり宣言いたします。
真宗の教えによって、生かされている者として、
- 私たちは、"いのち"を私有化し続けているあり方に目覚め、地球に生きるすべての"いのち"の平和と平等をめざす。
- 私たちは、21世紀という非人間化が進められていく時代に向かって、人間とは何かと問い続けることを放棄しない。
平成12(2000)年9月29日