共同宣言
真宗教団連合 結成50周年共同宣言
私たち真宗教団連合は、結成より50年を迎えるにあたり、ここに宣言いたします。
- 私たちは、いのちあるすべての存在が互いに響き合う世界、誰一人取り残されることなく、共に生きることのできる世界を目指し、取り組んでまいります。
- 前項の目的を達するため、世界に開かれた真宗教団として共同し、各宗派間における情報交換や事業交流を進めるとともに、他団体とも広い協力関係を構築するよう、つとめてまいります。
現代は、自分を優先し、誰かが取り残されても仕方がないという考えへと人びとを動かす、厳しい時代にあります。この自分優先のあり方の中では、人は孤立し、何のために生きてきたのかと問い、人生への空しさを感じざるをえないことでしょう。
浄土真宗をお開きになった親鸞聖人は、「煩悩成就のわれら」という言葉で、煩悩によってしか成り立っていない、煩悩から逃れられない人間存在の姿をお示しになっておられます。そこに教えられているのは、私もあなたも同じ、煩悩から逃れられない「われら」であるという共感であり、この共感から、煩悩を滅することなく煩悩の身のままに、共生への歩みがはじまる、ということです。
現代に必要なのは、一握りの知恵者ではなく、誰もが共に語り合うことができる、広やかな、豊かな人間関係の回復だと考えます。そして、その回復への起点にあるのが、悲しみや苦しみを抱えた「われら」という共感です。
私たちは、宗教者の責務として、現代に生きる人びとの苦悩に向き合い、共に生きることのできる世界を願って歩んでまいります。
平成30(2018)年4月18日
真宗教団連合結成50周年共同宣言(PDF)
真宗教団連合結成50周年共同宣言によせて
「いのちあるすべての存在が互いに響き合う世界、誰一人取り残されることなく、共に生きることのできる世界を目指して」
私たち真宗教団連合は、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)を宗祖(しゅうそ)と仰ぐ真宗教団十宗派の連合体であり、浄土真宗の教えを依りどころとして、現代社会の混迷と不安に向き合うべく、共同して活動しています。1969(昭和44)年の結成より50年を迎えるにあたり、次のように宣言いたしました。
- 私たちは、いのちあるすべての存在が互いに響き合う世界、誰一人取り残されることなく、共に生きることのできる世界を目指し、取り組んでまいります。
- 前項の目的を達するため、世界に開かれた真宗教団として共同し、各宗派間における情報交換や事業交流を進めるとともに、他団体とも広い協力関係を構築するよう、つとめてまいります。
現代における孤独と空しさ
現代社会は政治的・経済的に混迷を深めており、多くの方が先行きの見えない未来への不安を抱えています。その一方で、支え合い、助け合いよりも、「自分の努力で幸せを掴まなければならない、取り残されていく者は自己責任である」という、自助努力、自己責任が当たり前になってきています。現代は、自分を優先し、誰かが取り残されても仕方がないという考えへと人びとを動かす、厳しい時代状況にあるといえるでしょう。
しかし、その先に安心、安らぎはあるのでしょうか。競争や利害を原理とする排他的なあり方がもたらすのは、他者との相互不信であり、共感を失った孤独です。不安を拭い安らかであることを求めながら孤独である。そのとき、人は、何のために生きてきたのかと問い、人生への空しさを感じざるをえないことでしょう。孤独と空しさではなく、喜びをもって自らの人生を生きるためには、自分が優先という人間関係をこえ、人々と共に安らかであることが人間には不可欠なのではないでしょうか。
親鸞聖人の人間観
人間の煩悩(ぼんのう)とは、自分を中心としたものさしで物事を捉え、自分を優先して生きようとする心のすがたを言います。この煩悩をもつがゆえに、人間は共に生きながら傷つけ合い、苦しみ悩んでいくのであり、また、大切な人との別れや自らの生(しょう)老(ろう)病死(びょうし)に悲しみをいだいていくのである、と仏教は教えます。そして、人間の苦悩の原因である、私たち一人ひとりがもっている煩悩を滅し、生死(しょうじ)の苦しみを超えて行くことを説きます。
浄土真宗をお開きになった親鸞聖人も、「煩悩(ぼんのう)成就(じょうじゅ)のわれら」という言葉で、煩悩によってしか成り立っていない、煩悩から逃れられない人間存在の姿を言い当てておられます。しかし親鸞聖人は、煩悩成就のわが身を通して、誰もが苦悩し、悲しみをいだく存在であるという共通性へとめざめていかれました。そして、私もあなたも同じ「われら」であるという共感から、煩悩を滅することなく、煩悩の身のままに共生への歩みがはじまる、と指し示してくださいました。この親鸞聖人の人間観は、現代に大切な視座を与えてくださっていると考えます。
人類の課題
みな、共に安らかに生きるにはどうしたらよいのか。家庭の中で、町の中で、世界の中で、共通にもたれるこの問いは、思想信条をこえた人類の課題でしょう。勿論、簡単に答えを出すことはできません。しかし理想に過ぎないと退けてはなりません。人びとの苦悩と向き合い、誰一人取り残したくないという思いを一つにして、多様な人びとが考えを持ち寄ってこの困難な問いを前に共に語り始めることは、重要な一歩であるはずです。そのために現代に必要なのは、一握りの知恵者ではなく、誰もが共に語り合うことができる、広やかな、豊かな人間関係の回復だと考えます。そしてその回復への起点にあるのが、苦しみや悲しみを抱えた「われら」という共感です。
この共感と共なる世界への歩みは、一人ひとりの人生にとっても重要です。人が、苦しみや悲しみを通して他者を見出し、互いに心をふるわせ、共にある事実を噛みしめるとき、きっとこの共感に立った新たな歩みが人生に開かれていくことでしょう。苦しみ、孤独にあるときにも、他者の共感にふれるそのとき、人は孤独をこえ、人生を喜び、受けとめていくことができるに違いありません。
真宗教団の役割
親鸞聖人の教えを仰ぐ私たちにとって、みな、共に安らかに生きていくにはどうしたらよいのか、という問いに向き合うことは、すべての人を摂めとって捨てない(摂取不捨(せっしゅふしゃ))という阿弥陀仏(あみだぶつ)の願いにうながされて生きる、念仏者の使命であると考えています。
しかし、現在、多くの人びとにとって、生老病死や日々の悩みなど、人生における苦悩について相談する相手は寺院、僧侶ではなくなっています。葬儀や法事が人びとの悲しみや悩みに、僧侶が向き合い、教えを伝える場になっていたのか、宗教者としての責任を果たしてきたのか、私たちは真摯に反省をしなければならないと考えています。
私たちは、宗教者の責務として、現代に生きる人びとの苦悩に向き合い、共に生きることを願って歩んでまいります。そのために、私たちが目指す世界を、
いのちあるすべての存在が互いに響き合う世界、
誰一人取り残されることなく、共に生きることのできる世界
と明確にし、ここに宣言といたしました。
2023年、私たちは親鸞聖人が御誕生されてから850年、浄土真宗を開かれてから800年を迎えます。浄土真宗800年の歴史をかえりみ、真宗教団連合発足の願いに立ちかえり、私たち自身、苦悩する現代人の一人として教えに道を求め、共なる世界に向け、歩んでまいります。
以上