2024年 1月の法語・法話

帰ってゆくべき世界は 今遇う光によって知らされる

To encounter the Infinite Light is to have our hearts turn to that infinite world where we shall one day return: the Pure Land.

淺井成海

法話

「帰ってゆくべき世界は 今遇う光によって知らされる」は、尊敬する浅井成海師が遺された言葉だ。先生は、俳人・尾崎放哉を紹介され、この言葉を記された。そこで、私も放哉に関する本を数冊取り寄せて読んでみた。

尾崎放哉は1885(明治18)年、鳥取県邑美郡(現在の鳥取市)に生まれ、一高から東京帝国大学法学部へ。生命保険会社に入り若くして支店長というエリート街道を歩む。しかし大学時に覚えた酒癖がひどくなりさまざまなトラブルを起こす。加えて肋膜炎等も発症し仕事もままならず、1925年夏に小豆島へ辿りつく。一歳年上の俳句仲間、萩原井泉水の紹介であった。当地で高野山真言宗・西光寺住職、杉本宥玄師の世話を受け、あばらやの南郷庵に身を寄せ、近隣の人びとの支援をいただきながら生活した。しかし病は回復せず、翌年4月に死去する。その間の事情は吉村昭『海も暮れきる』(講談社文庫)に詳しい。

放哉は評判が極めて悪かった。エリート臭が抜けず尊大で、金の無心をする。酒を飲むと悪口が止まず、骨身を断つような筆致で知人を批判した手紙も残っている。エリートだから仕事も選り好みする。他人の施しを素直に受け入れられない。受け入れれば、自分を貶めることになると感じる。また善意の相手を怪しむ。自らの性根の裏返しであったのだろうか。

しかし島に行き着いた時、既に働く力も失われ、島の人びとの支援を受け入れざるを得なかった。
放哉は、手紙に、宥玄師の厚意を得た際に感涙したと書き、
「トニ角、此島デ死ナシテ貰ヘル事ニナルラシイデス」
と添えている。

よほど安堵したのだろう。吉村昭は近隣の漁師夫婦について、
「シゲは、放哉の世話をしてくれているのに、なんの報いも求めない。シゲのみならずその夫である老漁師も魚などを持ってきてくれるが、むろん代価などは要求しない」(傍点、筆者)
と放哉が感謝していたことを記している。最晩年、死を意識した句が増えていく。

赤ん坊ヒトばんで死んでしまった
肉がやせて来る太い骨である
春の山のうしろから烟が出だした

そして、亡くなる数カ月前の手紙は「南無阿弥陀仏」で閉じられている。

阿弥陀さまの救いは無条件だ。善行の見返りに浄土へ往生できるのではない。阿弥陀如来は、欲望の心や自分中心の考え方を離れられない者を救おうと、今も無私のはたらきに勤しまれている。

これが娑婆の価値観では受け入れにくい。自分の力を妄信していると理解できない。しかし、この世界にも、ささやかな無私の行為が起こる。そのささやかな行為が微かな光となり、仏の救いへと誘うことがある。最期の放哉にそれが起きて、念仏が生じたのではないか。浅井先生は、慈しみを受ける心を表現した放哉の句を紹介されている。

入れものが無い両手で受ける

何も無くなった手のひらだからこそ、温もりがそのままに伝わってくる。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)

武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

  • 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

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