2024年 表紙の法語・法話

光明と名号がからみ合い妙なる音楽を奏でている

When the Light and the Name entwine themselves, wondrously beautiful music begins to play!

青木新門

法話

西日が沈むと、光は瓦の隙間に吸い込まれるように消え、夕闇に包まれる御影堂。...御堂の中は光で満ちている。人影がないのに、念仏の声がする。光の中から声が聞こえてくる。光明と名号がからみ合い、妙なる音楽を奏でている。 (『青木新門の親鸞探訪』東本願寺出版)

 晩秋の夕暮れの真宗本廟(東本願寺)を訪ねた青木新門さんは、厳かな風景を美しく、有り難く表現されました。御影堂にお参りし親鸞聖人に向き合うと、光の中から念仏の声がするという描写に心が打たれます。

 「光明」と「名号」という表現から、おのずと「正信偈」の「善導大師章」が導き出されます。

善導独り、仏の正意を明かせり。...光明名号、因縁を顕す。 (『真宗聖典』207頁)

と親鸞聖人は讃じておられます。善導大師は、他力の信心を得るには、阿弥陀仏の「智慧の光明」が縁となり、南無阿弥陀仏の「名号」が因となると説かれ、「光明」と「名号」の因縁により信心をいただくことをご教示くださいました。誠に有り難いことです。

 「正像末和讃」に、

無明長夜の燈炬なり (『真宗聖典』503頁)

とありますが、私たちの深い煩悩により混迷が続くこの時代は、まさに「無明長夜」の世です。そのような中で、ただ弥陀の「智慧の光明」が救いです。阿弥陀仏は、決して遠いところにましますのではなく、私の上に智慧の光明となり、無明の闇を照らしてくださると感謝しています。

 「光明」について、常に思い浮かぶ親鸞聖人のご和讃があります。

智慧の光明はかりなし  有量の諸相ことごとく
  光暁かぶらぬものはなし  真実明に帰命せよ (『真宗聖典』479頁)

 〔意訳〕弥陀の「智慧の光明」は無限です。限りある命のすべてのものが、阿弥陀仏の光に照らされています。阿弥陀仏の真実の救いを頼み、信仰に生きよう。

 暗闇の中でさまよう私に、光をあててお救いくださる阿弥陀仏のはたらきには感謝せずにおれません。

 青木新門さんは、晩年まで長年にわたり、フェイスブックに「念仏広場」を開設し、毎日、念仏の仲間たちに親鸞聖人の教えをわかりやすく伝え、共に念仏を喜ばれました。

 特に私の印象に残ったのが、2021年の元旦に、

新年明けまして 南無阿弥陀仏
弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし 
─親鸞「正像末和讃」

親鸞聖人の仰せにしたがって私は今年も、お念仏を旨として憶念の心で書き綴っていきたいと思っています。 
...皆様からのお念仏の声が何より力になります。昨年同様、お力添えを賜れば有難いです。南無阿弥陀仏

と投稿された文章です。青木さんは晩年まで、念仏の尊さを伝えることを生涯の仕事とされ、感動を与えてくださいました。

 現代社会においては、苦しみ悩む人に寄り添う気持ちの大切さが切に求められています。阿弥陀仏の光に照らされ念仏申す中で、その求めに応えていく生活が開かれるのではないかと思います。

石橋 義秀(いしばし ぎしゅう)

1943年生まれ。大阪教区第21組善正寺住職。大谷大学名誉教授

  • 東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

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