2020年 12月の法語・法話
The working of wisdom and compassion itself is the “Buddha.”
坂東 性純(ばんどう しょうじゅん)
法話
東海道山陽新幹線のぞみ21号博多行き11号車10番A席。信智は京都での会議を終え、山口に帰る新幹線の中にいた。いつものように席を確認して座った窓の外に、年の頃60歳ぐらいの見知らぬ女性が立っていた。安全柵越しではあるが、あきらかに信智に向かって何かを知らせようと、口をパクパクさせている。
その女性の視線の先には、彼女とそっくりのお年寄りが、切符を握りしめ、信智の横に立っていた。80歳はゆうに越えているだろうと思われるその人は窓の外の女性に向かって席を確認しているようだ。一瞬、自分が席を間違ったのかと思い、チケットを再確認。A席で間違いない。
信智は「ちょっと確認してもいいですか」とお年寄りの切符の席を確認すると、同じ列の反対側の窓際E席の切符だった。「向こう側の窓際の席ですよ」と教えて、窓の外の女性にも身振り手振りでそのことを知らせた。窓の外の女性はしきりに頭を下げている。「大丈夫ですよ」と声をかけたかったが、車内からではどうしようもない。かわりにお年寄りへ「大丈夫ですよ」と伝えようと振り返ると、その人は目に涙を、口に「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と念仏を称えながら合掌し、じっと外の女性を見つめ続けていた。外の女性も涙が溢れている。信智を間に挟んで別れを惜しむ親子だろうか。
どうせなら席を譲ろうとしたとき、新幹線は動き出し、あっという間に外の女性の姿は見えなくなって「なんまんだぶ、なんまんだぶ」というお年寄りの小さなお念仏の声だけが残った。
並びのC席には50代ぐらいの女性が座っていた。もらい涙か、その女性も目に涙を浮かべていた。「娘さんですか?」と尋ねるその女性にお年寄りは「ええ、慧子は娘です」と答え、席を移っていく。ところがE席にはすでにスーツを着た若いビジネスマンらしき男性が、ノートパソコンをひろげて座っていた。C席の女性が「席確認してもらえませんか」と声をかけると、ビジネスマンはどうやらD席だったらしく「ごめんなさい、すぐに替わります」とノートパソコンをたたみ荷物を片付け始めた。コンセントは窓際にしかないので、隣の席を借用したくなる気持ちはわからなくもない。お年寄りは「よかです、よかです、替わらんでよかです」とD席へ腰を下ろした。「ごめんなさい、ありがとうございます」とビジネスマンは頭を下げて仕事を続ける。
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C席に座った久美子は、D席に座ったそのお年寄りが、周りに聞こえないほどのお念仏をずっと繰り返していることに気がついた。久美子は30年前、ある住職に相談して、生まれて間もないわが子を、お寺近くの家に預けたことを思い出していた。やむを得ない事情でそうするしかなかった。名前を亮と名付けたきり、二度と会うことは許されなかった。今そのお年寄りが着ているベージュの手編みのカーディガンが、久美子が亮を包んだベージュのマフラーに見える。娘さんとの別れに流された涙の意味を想像しながら、久美子は30年前の記憶をたどっていた。
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岡山を過ぎた辺りで、隣のお年寄りが細長い包みを取り出して手を合わせている。さっきの京都駅の娘さんが作ったものだろうか、手作りの海苔巻きが出てきた。翔太も急激にお腹が空いてきたが何も持っていない。出張先の広島まで我慢だ。そういえば海苔巻きは陽菜の大好物だったよなあ。陽菜元気にしているかなあ。また陽菜に会いたいなあ。
そんなことを思う翔太に、お年寄りはひとりでは食べる量が多かったのか、翔太のお腹の虫が聞こえたのか「お裾分けで申し訳ないけど、召し上がれ」と海苔巻きを差し出した。翔太は、「ちょうどお腹が空いてきたところだったんです。ありがとうございます」と満面の笑顔を見せ海苔巻きをほおばった。お年寄りは水筒を取り出して、お茶もすすめてくれた。さっきまでずっとパソコンとにらめっこしていた翔太はすっかり気が緩んで、自分には陽菜っていう娘がいること、離婚してなかなか会えないこと、陽菜は海苔巻きが大好物だということ、この美味しい海苔巻きを食べさせてあげたいことを話して、最後に、
「ところでひとつ教えて欲しいんですが、えーと......ずっと、なんまんだぶっておっしゃってますよね?」
「ごめんなさい。お仕事の邪魔やったかしら」
「いえいえ大丈夫です。なんまんだぶ、ひとつで仏さまの国に生まれるんですか? 変なこと質問してすみません。意味通じてますか?」
「はい? その通りですよ。どなたからお聞きになられたの?」
「やっぱりそうなんだ。はい、娘の陽菜がそう言うんです」
「娘さん、おいくつ?」
「11歳です。この前久しぶりにあったら、『お父さん、死んでも私に会いたい?』って変なこと言うんです。もちろんいつでも会いたいさと答えたら、陽菜は、なんまんだぶ、ひとつで仏さまの国に生まれるから、お父さんも、なんまんだぶ、忘れないでね、忘れたら陽菜には会えないからねって言うんです。僕、意味がわからなくて。陽菜は約束だよ、なんまんだぶ、忘れないでねって、何度も言うんです」
「とってもかわいか娘さんやね。お父さんこと大好きなんやね。約束ば守ってあげてね」
「なんまんだぶ、ひとつで会えるんですね。はい。守ります。絶対約束守ります」
「そげん力まんでもよかよ。仏さまがね、そうお誓いくださってるの。私たちの力で仏さまの国に行くんじゃなかよ。なんまんだぶは仏さまのお力なの。もし忘れていても、仏さまはお忘れにならんのよ。お茶もう一杯いかが?」
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広島駅でビジネスマンは降りていった。お年寄りにしきりに「ありがとうございました」と頭を下げて、なんだかとても嬉しそうだった。ほどなく新山口に到着。C席の女性もここで降りるようで、お年寄りに「残りの旅、お気を付けになられて」と声をかけていた。信智はただ心の中で念仏を称え、新幹線を降りた。
ホームに降りるなり、C席の女性が声をかけてきた。
「素敵なおばあちゃんでしたね。私たち3人ともおばあちゃんの魅力にやられちゃったわね。おかげでなんか大切なことを思い出しました」
信智はただ笑顔で「そうですね」とだけ返したが、のぞみ21号博多行き11号車10番D席に、阿弥陀さまの智慧と慈悲のはたらきがあのお年寄りを通してあらわれてくださったのだと、深く深く味わっていた。
阿弥陀さまは常に一緒。出てくださるお念仏が尊かった。
荻 隆宣(おぎ りゅうせん)
浄土真宗本願寺派布教使、仏教青年連盟指導講師、グラフィックデザイナー、山口県長門市浄土寺住職。。
- 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
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