2020年 10月の法語・法話
The Nembutsu enables you to discover yourself.
金子 大榮(かねこ だいえい)
法話
「お母さん、私のお腹の中に赤ちゃんがいる。3カ月目って言われた」
娘の突然の報告に口の中に入っていたお茶を吹き出してしまった。卒業後、就職こそしているが、まだまだ子どもだと思っていた。しかし冷静になってよく考えれば、智子が最初の子を産んだのは25の歳。娘の舞も今年25になる。
「で、どうしたいの?」
「産むよ。大樹さんからも結婚して欲しいって、前から言われてるし」
「え、いつから言われとったん?」
「えーと2年前?」
「どうしてもっと早く教えてくれんの」
「だって私にはもったいないもん。大樹さん」
「あ、またすぐそんな考え方する。私の育て方が悪かったのかねえ。あなた仕事はどうするの?」
「今のところは辞める。ここで働きながら、ちゃんと育てたい」
舞にはディスレクシアという読字障がいがある。出産するにあたって主治医の先生とも相談したいが、大樹さんも舞のことはちゃんと理解してくれているから大丈夫だろう。赤ちゃんをここで育てるのは悪くない。町の小さな食堂を経営している我が家なら、いつも目の届くところで赤ちゃんを育てることができる。親として反対する理由もない。
本を読むことができない舞は、出産と育児のことはお母さんが教えてね、とすっかり私を頼りにしている。しかし智子も出産育児なんてもうすっかり忘れてしまっている。舞はのほほんとした呑気な性格だから、舞が赤ちゃんを育てる間は、私がしっかりしなくちゃと、智子もついつい気合いが入る。そんな智子を見て舞がこんなことを聞いてきた。
「ねえ、お母さん、私を産んで育てるのも大変だった?」
智子はお寺の法座でこんな話を聞いたことがあった。
「本堂の真ん中にいらっしゃる阿弥陀如来さまの下に、須弥壇という壇があります。須弥というのはインドの言葉でヒマラヤのこと。地球上で一番高い山。この中で登られた方はいらっしゃいますか。いらっしゃらないですか。一度登ってみるといいですね。きっとそこは私の想像をはるかに超えた世界でしょう。仏さまが私を救わずにはおれないというお心は、私の想像をはるかに超えたお心。それを表すために須弥壇の上にお立ちです。私がどれだけ背いても、わが子を思う母のように、決して見捨てず、いつもなんまんだぶと、はたらいてくださる仏さまです」
智子の母はもう85歳、一人九州佐賀県で暮らしている。母はいつも「あなたが生まれてきてくれて、本当によかった」と智子に言っていた。父が早くに亡くなって、一人で4人の子どもを育てたので、随分苦労したはずの母。末っ子の智子も決して素直な良い子ではなかった。どれほど母に苦労をかけ大きくなったか。どれほど母に涙を流させたか。でも母は感謝の言葉を口にした。母の心は、仏さまの心のように大きく広い。
「ねえ、お母さん、聞いてる? 私を産んで育てるの大変だった?」
「えーと、どうだったかしら。そんなこともう忘れちゃったわ」
「じゃあ、あまり大変じゃなかったんだ」
「そうね、大変なことよりも、嬉しいことのほうが多かったかな」
「え、嬉しいことってどんなこと? ねえ、ねえどんなこと?」
「何言ってるの、それも忘れた。さあ、もうお店も手伝ってよ」
「はーい。わかったあ。でも嬉しいことのほうが多かったって言ってくれてありがとう、お母さん」
荻 隆宣(おぎ りゅうせん)
浄土真宗本願寺派布教使、仏教青年連盟指導講師、グラフィックデザイナー、山口県長門市浄土寺住職。。
- 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
- ※ホームページ用に体裁を変更しております。
- ※本文の著作権は作者本人に属しております。