2020年 6月の法語・法話

 人が何よりも 執着せんとするものが 自己である

It is the self among all things that we most adhere to.

毎田 周一(まいだ しゅういち)

法話

 父、清の葬儀を終え、片づけ終わった仏間で大輔はひとり考えにふけっていた。父の人生はいったい何だったのか。母は父を称して「何もない人」と言っていたという。仕事もない、お金もない、話もしない、愛情もない。何よりも父は世間と関わろうとしなかった。母は実家から帰ってくるように言われ、大輔を家に残すことを条件に離縁が成立。すぐに母は近くの別の男性と再婚した。祖父母からは母を見かけても声をかけるなと言われ、母も大輔を見て見ぬふりして通り過ぎていった。

 働かない父のかわりに祖父母は休みなく働いた。大輔が高校を卒業できたのも祖父母のおかげだ。何もない父だったが、唯一、口に念仏を称え仏壇での朝晩のお勤めだけは欠かさなかった。それは亡くなる直前まで続いた。祖父母は父に対して、お念仏さえ忘れんかったらそれでええと、父を責めるようなことをしなかったが、大輔は許せなかった。「念仏が称えられるんなら働け、仏壇に参れるんなら仕事へ行け。うちが貧乏なのはおまえのせいじゃ。俺に母さんがおらんのもおまえのせいじゃ。俺の母さんを返せ、念仏称えられるんなら、今すぐ母さんに謝れ」と泣きながら父に訴えたこともある。それでも父は反論もせず、ただただ念仏を繰り返すだけだった。

 近所へ葬儀のお礼にでかけていた伯父が帰ってきた。大輔の息子の大樹も一緒だった。伯父は「おまえたちに話しておきたいことがあるんじゃが、ちょっとええか」と父のことを話し始めた。
 「清があんなんで、おまえらには苦労をかけてすまんかった。戦時中、清が小学生の頃、お寺の鐘つき当番になったことがあっての、根が優しく、仏さまのことが好きで熱心に日曜学校へ通ってたもんじゃから、清はそれを楽しみにしとった。ところが金属類回収令いうのが出て、お寺の鐘も出すことになった。そのときやって来た憲兵が村中の者を集めて、お国のために戦うんが国民の使命であり、神様仏様もそうオススメであると言うたんじゃ。ところが清がそれは嘘だと言い始めた。仏さまは人を殺せとは決して仰せにならんと反論しての。憲兵はおまえが間違っている謝れと言うたが、清は兵隊さんが嘘をついちょると言い張った。顔を真っ赤にした憲兵は、根性を叩き直すというて、気を失うほど清を殴ったんじゃ。今なら清が正しいとみんなが言うたじゃろうが、当時は軍の言うことが絶対。清をかばう者は誰一人おらんかった。親も兄である私も清を守ってやれなんだ。清はそのとき、仏さま以外この世には何一つ真実がないことがわかったんじゃろうな。あの日を境に、清は嘘だらけのこの世に対して心を閉じてしもうた。許してくれの大輔。おまえが苦労したんは、清を見捨てたわしらのせいじゃ。本当に心痛させたの」

 大樹は伯父の話を聞き終わって、「じいちゃんの具合が悪かったから言えんかったけど、前から結婚したいと思ってる人がいる。いずれ山口にも一緒に帰るから」と言い残して東京へ帰って行った。初めて聞いた父の昔のこと。真実を知らず、ただ自分の幸せに執着し、思い通りにならないことをなんでもかんでも父のせいにして責めた大輔を、父はどう感じていただろうか。間違っていると殴られて、どれほど悔しかったか。もうやめてくれと飛び出して行きたかったろう伯父も、どれほど悔しかったか。祖父母が父のすべてを許していたのは、そういう意味だったのか。何よりも一番痛かったのは父を殴った憲兵ではないか。戦後どれほど後悔の念を持ってその憲兵は生きただろう。嘘までついて戦争をする人間の愚かさを示すために、父は一生をかけて訴えたのかもしれない。
 大輔の手の甲に淡い光がフワリととまった。6月の蛍は優しかった。

荻 隆宣(おぎ りゅうせん)

浄土真宗本願寺派布教使、仏教青年連盟指導講師、グラフィックデザイナー、山口県長門市浄土寺住職。。

  • 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

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