2017年 2月の法語・法話

如来すなわち涅槃なり 涅槃を仏性となづけたり

Tathagata is none other than nirvana, and nirvana is called Buddha-nature.

三帖和讃

法話

お浄土に咲き乱れる色とりどりの蓮の花。皆さま、よくご存じの『仏説阿弥陀経』には、

池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり。
(『註釈版聖典』一二二頁)

とあって、車輪のように大きないろんな色の蓮が美しく輝き、その香りは気高く清らかだとあります。

しかし何でしょうかね。この「青い花は青い光を」といって繰り返される、同じ花の色とその光。一見すると、当たり前のことを言っているようにしか見えないのですが、当たり前ではないんです。

その花が、青という色をもつのなら、青く花咲くそのままが、限りない尊厳を輝き放っていますよ、と教えているのです。私たちのように、自分とは違う色をうらやみ、憧れ、でも、少しも変わっていけない自分に、苦しんでいく必要はまったくないというのです。

これはお浄土の風景を描写しつつ、実は、仏さまの視野を教えています。ということは、それはそのまま私たちがお浄土に生まれた時に眼前にひろがる、豊かな風景だということもできましょう。
今月のご和讃をすべて示せば、次のとおりです。

如来すなはち涅槃なり 涅槃を仏性となづけたり
凡地にしてはさとられず 安養にいたりて証すべし
(『註釈版聖典』五七三頁)

如来さまとは、燃え盛る煩悩の炎を完全に消し切った、極めてこころ安らかな「涅槃」という領域におられます。しかしそれと同時に、そこに居座ることなく、私たちのもとに、さとりの世界(如)から来現される涅槃の体現者(如来)です。このお方が本性として持つお徳を「仏性」といいますが、『涅槃経』には、すべての者に、仏に成ってゆく種として、この仏性が内在していると説く「一切衆生悉有仏性(一切の衆生にことごとく仏性あり)」という有名な一節が出てきます。ただ、これは仏さまのみが確認されていることで、私たち凡夫(凡地)には、その気配すらわかりません。だけれども、この度こそは、そのことを「安養」という阿弥陀さまのお浄土に生まれてさとりなさいと言われているのです。

『阿弥陀経』に説かれるお浄土の風景が、仏さまの視野を開かれたものであるように、私たちに仏性があるということも、私たちにはわからなくても、同じまなざしから明らかにされた事実です。
その仏性という種を、自分が必ず開かせて輝かせると、阿弥陀さまが万徳を込めて呼びかけておられるのが、私たちの耳に響く「南無阿弥陀仏」、すなわち「われにまかせよ、必ず救う」との大悲のみ声です。『阿弥陀経』に説かれるような風景を本当に見渡せる時が、私たちの人生の先に待っています。有難いことです。
今月のご和讃を、もう一度味わってみてください。

井上 見淳(いのうえ けんじゅん)

龍谷大学准教授

  • 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

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