2015(平成27)年の法語
表紙 |
智慧(ちえ)・慈悲(じひ)のはたらき そのものが 「仏(ぶつ)」なのです |
坂東 性純 |
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1月 |
称(とな)えるままが つねに御本願(ごほんがん)の みこころを 聞くことになる |
香樹院 徳龍 |
2月 |
拝むとは 拝まれて居た事に 気付き醒めること |
高光 大船 |
3月 |
死んで往ける道は そのまま 生きてゆく道です |
東 昇 |
4月 |
出会わねばならない ただひとりの人がいる それは私自身 |
廣瀬 杲 |
5月 |
わしひとりを めあての 本願の ありがたさ |
花岡 大学 |
6月 |
ものが 縛るのではありません ものをとらえる心に 縛られるのです |
仲野 良俊 |
7月 |
私が 私であってよかった といえる あなたになれ |
中島 みどり |
8月 |
今を生きずに いつを生きる ここを生きずに どこを生きる |
大神 信章 |
9月 |
煩悩の嵐の中にも 念仏において 本願の呼び声が 聞えてくる |
正親 含英 |
10月 |
世俗の論理の 行き詰まることを 教えるのが仏法 |
栗山 力精 |
11月 |
如来の本願は 称名念仏(しょうみょうねんぶつ)にあり |
藤元 正樹 |
12月 |
生活の中で 念仏するのでなく 念仏の上に 生活がいとなまれる |
和田 稠 |