2003(平成15)年の法語
| 表紙 | わたしがさびしいときに ほとけさまはさびしいの |
金子 みすゞ |
|---|---|---|
| 1月 | 仏を仰ぐとき自分の姿が知らされ 愚かさが照らし出される |
花田 正夫 |
| 2月 | 見えないところでつながりあって 生きているのは竹だけではない |
東井 義雄 |
| 3月 | 信仰は悩みの逃避ではない 悩みの中に 救いにみちびく |
九條 武子 |
| 4月 | 遠くなった耳が世音の中に 仏様の声をふと聞かせていただく |
榎本 栄一 |
| 5月 | 世間に抱く関心は 必ず自己中心の善悪による関心である |
信国 淳 |
| 6月 |
愚かさとは 深い知性と 謙虚さである |
平澤 興 |
| 7月 | 人間は物を要求するが 仏は物をみる眼(まなこ)を与えようとされる |
足利 淨圓 |
| 8月 | 己に願いはなくとも 願いをかけられた身だ |
藤元 正樹 |
| 9月 | 浄土への道は 浄土から開かれたものである |
金子 大榮 |
| 10月 | 凡夫の身に帰れば帰るほど 凡夫の身の底は深くなる |
宗 正元 |
| 11月 | 比べる必要がないほど 平等なことはありません |
延塚 知道 |
| 12月 | 自分のあり方に痛みを感ずるときに 人の痛みに心が開かれる |
宮城 顗 |