1997(平成9)年の法語
表紙 |
ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは称名念仏すべきものなり |
蓮如上人 |
---|---|---|
1月 | 一人居て喜ばば二人と思うべしその一人と今年も歩む |
藤代聰麿 |
2月 |
浄土の歴史 仏国土の伝統それが念仏である |
松原祐善 |
3月 |
念仏を喜ぶ家は春の風常にそよぐ心地こそすれ |
大野正雄 |
4月 |
すべての日暮らしが南無阿弥陀仏である |
暁烏 敏 |
5月 |
この苦悩においてこそ如来の本願が聞こえてくる |
小桜秀謙 |
6月 |
約束できることなどなにもなし念仏のみまこと |
鈴木章子 |
7月 |
念仏を称えるときそこに仏の心が通い仏の心がうつっている |
山本仏骨 |
8月 |
お念仏は真実の親のおよび声 |
東井義雄 |
9月 |
私の心の闇を照らす真実の念仏 |
島津恵耀 |
10月 |
ともすれば二度のお礼も欠くるなり三度の箸は忘れざる身も |
小野逸子 |
11月 |
助けるのは如来の仕事です助かるのは我われの仕事です |
安田理深 |
12月 |
仏法をあるじとし世間を客人とせよ |
蓮如上人 |