1996(平成8)年の法語
表紙 |
南無阿弥陀仏は人生の呼びかけである |
曽我量深 |
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1月 | 南無阿弥陀仏の中に生かされて生きている |
吉村かほる |
2月 |
どこにも助かるすべのないもののためにただ一つ開かれた道が念仏 |
暁烏 敏 |
3月 |
念仏は身につくべきもので頭で分別すべきものでない |
瓜生津隆雄 |
4月 |
生きんかな本当に生きんかなただ念仏して |
竹部勝之進 |
5月 |
一声一声のお念仏のなかに仏がおられ私を呼んでおって下さる |
山本仏骨 |
6月 |
念仏は絶対沈黙の声自我崩壊の音 |
金子大榮 |
7月 |
念仏者は自由人である念仏者は人間を見る |
西光万吉 |
8月 |
お念仏にであう以外救われようのない煩悩成就の私 |
東井義雄 |
9月 |
念仏をおいて悪人のおまえの助かる道がどこにある |
高 史明 |
10月 |
称えながら聞く念仏 |
桐渓順忍 |
11月 |
本当の私に遇えたよろこびの叫びが南無阿弥陀仏 |
米沢英雄 |
12月 |
ただ念仏して還りたい |
鈴木章子 |