1995(平成7)年の法語
表紙 |
本願とは阿弥陀仏の衆生救済の根本意欲である |
普賢大円 |
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1月 | きょうの一日は 永遠の生命につながる一日である |
小野清一郎 |
2月 |
許す許さぬは外への視点 視点を内に転ずれば私も許されている |
鈴木章子 |
3月 |
どんな人間でも助かる法でなければ 自分自身は助からない |
大河内了悟 |
4月 |
人と生まれた悲しみを知らないものは 人と生まれた喜びを知らない |
金子大榮 |
5月 |
そのままと仰せらるるにそのままになろうとかかりひとり苦しむ |
木村無相 |
6月 |
如来の誓いは衆生を先として自己を後とします |
神子上恵龍 |
7月 |
無量寿 いのちとはすなわち限りない願いの世界 |
平野恵子 |
8月 |
念仏は私が仏をよぶ声ではなくて仏が私を呼びたもう声 |
正親含英 |
9月 |
如来の本願は仏の智見したまえるこの私を救わんがためにおこされたもの |
小山法城 |
10月 |
たすけて下されよと言うにあらずたすかってくれよとある仰せ |
東井義雄 |
11月 |
生活のすべてが南無阿弥陀仏の中の出来事 |
米沢英雄 |
12月 |
如来の本願は「人間よ ほんとうの人間になってください」という願い |
竹下 哲 |