1994(平成6)年の法語
| 表紙 |
我等の大迷は 如来を知らざるにあり |
清沢満之 |
|---|---|---|
| 1月 | 拝むところに恵まれる世界が開ける |
篠田龍雄 |
| 2月 |
聞法においてのみ 私たちは生涯を通して成就への歩みをつづけることができる |
藤井敏哉 |
| 3月 |
いのちを いきいきと生かしつづけて下さるのが 仏さまの光明 |
直海玄洋 |
| 4月 |
人が何よりも執着せんとするものが自己である |
毎田周一 |
| 5月 |
真におろか者と気がつけば 人の教えを聞くこころになる |
暁烏 敏 |
| 6月 |
耳が聞くのではない 全身が耳となる |
安田理深 |
| 7月 |
われは本願によらずば救われざる時代に生まれたのである |
金子大榮 |
| 8月 |
人間は死を抱いて生まれ 死をかかえて成長する |
信國 淳 |
| 9月 |
わが身を見つめて 静かに聴聞すると本願のいわれが聞こえてくる |
曽我量深 |
| 10月 |
目にみえぬ慈悲が ことばにあらわれてなむあみだぶつと声でしられる |
浅原才市 |
| 11月 |
大悲に催され自ら口にあらわれて下さる お念仏 |
藤永清徹 |
| 12月 |
生も死もすべてみ手のまんなかです |
東井義雄 |