2022年 表紙の法語・法話
The nenbutsu is the light which shows us the truth of our untrue lives.
正親含英
法話
今も奉公という勤め方があるのを、初めて知りました。
先日テレビのBS放送で、大阪船場のドキュメントがあり、船場にあるお茶道具屋さんに勤める青年が、映されていました。給料はなし。小遣い程度の報酬で、店の仕事は何でもこなします。草引きや庭掃除、トイレ掃除に接待、もろもろの仕事すべてをこなすのです。
むろん道具のことも学びます。展示会場で、道具のどの面を正面にするか、店員たちと議論している場面もありました。
一昔前は将棋の世界でも、弟子が住み込みで働いていました。しかし、直接将棋を教えてもらうことはありません。買い物から何から、用事は何でもこなします。棋力は自分で磨くのです。頭角をあらわして、プロへ進む道が見えてくればよいのですが、そうでない場合、黙って消えていくほかありません。
宮大工さんなどの世界も、10代のころはおそらく無給で技を習うのだと思います。法隆寺の宮大工として知られる西岡常一さんの本で読んだことがあります。お師匠さんを手伝いながら、その技を「盗む」のだそうです。かんなの研ぎ方や調整など、口で教えてもらってもわかりません。お師匠さんの技を見て、体で覚えます。家を建てる時、材料の木材は、どこにどれを使ってもいいのではないそうです。1本1本、育った条件が違います。日当たり、方角、それらの癖を見抜き、一番ふさわしい場所を探すといいます。これは言葉を超えた世界です。そして最も厳しい教育の姿でもあります。
宗教の体験や経験は、読書や法話を聞いている時とは限りません。木材が1本1本異なるように、私たちは、誰に代わってもらうこともできない人生を歩んでいます。大工さんが言葉では伝えられない師匠の技を「盗む」ように、自分がお念仏の味を「盗む(味わう)」ほかないでしょう。
船場に勤める青年の実家も、お茶の道具屋さんだそうです。目利きを育てるためだけでなく、商人の姿勢を学ばせるため、父親が奉公を勧めたといいます。報酬や給料めあてなら、そのような勤め方はできないでしょう。
画面に映る青年は、とてもいい顔をしていました。
山本 攝叡(やまもと せつえい)
浄土真宗本願寺派布教使、行信教校講師、大阪市定専坊住職
- 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
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