2021年 3月の法語・法話

私の上にあるものは 全部賜うたものである

Every thing that I have experienced and received has been bestowed to me.

細川 巌

法話

仏法に遇って知らされることは、「この人生、私のもとにあるものは、すべて賜ったものである」ということです。まず根本にある私の生命は賜りものです。自分で生まれようと思って生まれてきたわけではありません。気付いたら生きていて、今日まで生かされてきました。賜りものですから、いつまでの生命かもわかりません。

また、自分を生かすものもすべて賜りものです。空気も陽の光も、私が作ったわけではありません。食べ物もそうです。肉魚等どれほど他の生命をいただいているのか調べてみると、2015(平成27)年の日本人一人あたりが一日に食べる肉は84.1グラムで、魚は一人当たり70.7グラムだそうです。人生において、肉や魚を食べる時間を70年として計算した場合、牛だと9頭半、鶏だと1,622羽を食べていることになります。魚は秋刀魚にすると、17,200匹となりました。もちろん牛肉ばかり食べるわけでもなく、魚にしても何十キロもあるマグロからちりめんじゃこのような小さなものまでありますが、ともかく多くの個体の生命をいただいていることは事実です。

また食べ物だけではなく、この世界に生まれて教わった知識も賜りものです。言葉や数字や計算の仕方、歴史や地理、世界の情報も賜りものです。

2007年にドイツとオーストリアの共同で制作された『ヒトラーの贋札』という映画があります。ナチスの管轄下におかれたユダヤ人の収容所内で敵国の贋札が作られていた、という史実に基づいて描かれた映画です。その最後のシーンは印象に残りました。
ドイツの敗戦が濃厚となって、ナチス兵があわてて収容所から逃げ出し、骨と皮だけのように痩せ細ったわずかなユダヤ人が残されます。収容所にナチス兵がいないと知ったユダヤ人は、食べ物を探してガツガツと食べます。そしてその後、蓄音機を見つけ出してレコードをかけ音楽を聴いたのです。
そうなのです。彼らは食べ物にも飢えていましたが、美しい音楽にも飢えていたのです。みんなが涙を流して音楽を聴くシーンは、とても胸を打つものでした。音楽や美術もこの人生には欠かせないものであり、賜りものなのです。

そして賜りものとは、留まることなく流れゆくものです。日照りの時に賜った雨はやがて川となり、海に至って水蒸気となり雲になり、また雨になります。動物たちの賜った草も食べられ、糞になり、それは大地の肥やしになっていきます。多くの食べ物のお陰でできた私のこの身体も変化していきます。60兆あるという細胞も、6カ月すると大半の細胞が入れ替わっているといわれます。
その移り変わりゆく賜りものに、私の土地、私の家族、私の身体と、「私のもの」というラベルを張り付けていく愚かさを知らせてくれるのが仏法です。私のものという所有は、流れを止める働きです。食べたものは私のものだから出さないとなると、それは便秘です。水の流れを止めると、水はやがて腐っていきます。

今月の言葉は「私の上にあるものは全部賜うたものである」ですが、これは多くの生命の留まることのない流れの中で、私の生きる力をいただいているということです。ですから私もこのいただいた生かされているエネルギーを他者へ差し出していくべきでしょう。それは無数の生命が共存するこの地球という星において、他の動植物へは思いやりを、人間関係では他の人へ優しい言葉をかけていくこと、穏やかな表情で接していくということを常に心がけていくことでもあります。それが仏法に活きる日暮らしです。

福間 義朝(ふくま ぎちょう)

浄土真宗本願寺派布教使、布教研究課程専任講師、広島県三原市教専寺住職

  • 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

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