1990(平成2)年の法語
| 表紙 |
家庭そのものがめざめていく道場なのである |
足利浄圓 |
|---|---|---|
| 1月 | 人間は一生を通して誰になるものでもない自分になるのだ |
仲野良俊 |
| 2月 |
妄念の根源は外物を追求するにあり |
清沢満之 |
| 3月 |
歩々大悲の光明に導かれ声々攝取の中を悦こぶ |
高雄義堅 |
| 4月 |
如来が私のいのちになりきって救いたもう |
梅原真隆 |
| 5月 |
不安は私のいのちやもん不安とれたら生きようがないわ |
山崎ヨン |
| 6月 |
いくら落ちこんでもここには少し光がさしてくる |
榎本栄一 |
| 7月 |
悩むというのは自覚である悩まされるというのは無自覚である |
曽我量深 |
| 8月 |
死は生をおびやかしつつも生の真相をうつす鏡となる |
大河内了悟 |
| 9月 |
みほとけのみ名を称える我が声は我が声ながら尊かりけり |
甲斐和里子 |
| 10月 |
本当のものがわからないと本当でないものを本当にする |
安田理深 |
| 11月 |
恩徳讃いただくと背中から冷汗が流れてくるわいの |
山村志げり |
| 12月 |
今今今たった今死んでも生き甲斐あったか |
木村無相 |