1988(昭和63)年の法語
| 表紙 |
みほとけの光あふれて いのちまいにちあたらしい |
喜多内十三造 |
|---|---|---|
| 1月 | 目ざめよ目ざめよ如来今ひとえに我れを案じたもう |
木村無相 |
| 2月 |
生かさるるよろこびにおう春の梅 |
中村久子 |
| 3月 |
大悲無倦の夜は明けて大悲無倦の陽を迎う |
金子大榮 |
| 4月 |
人生は念佛の道場である聞法こそは生命の道である |
野間景豊 |
| 5月 |
人も草木も虫も同じものは一つもないおなじでなくてみな光る |
榎本栄一 |
| 6月 |
自分が悲しいのと自分を悲しむというのでは天地のちがいがある |
米沢英雄 |
| 7月 |
永遠に亡びないものが只一つ私の上に活躍して下さってある |
足利浄圓 |
| 8月 |
救われるとは完全に生かされることである |
梅原真隆 |
| 9月 |
心は妄念消えざれど身は本願の中にあり |
小桜秀謙 |
| 10月 |
念佛の味の深まるとともに人生の味も深まるのである |
松原致遠 |
| 11月 |
信心を頂くということは如来の大悲心に生きること |
安田理深 |
| 12月 |
おおいなるもののちからにひかれゆく わがあしあとのおぼつかなしや |
九條武子 |