1992(平成4)年の法語
| 表紙 |
念仏は新しき人生を創造する |
曽我是精 |
|---|---|---|
| 1月 | 一日の空過はやがて一生の空過 |
金子大榮 |
| 2月 |
旧き自己に死んで新しき自己に生まれ変る |
小山法城 |
| 3月 |
そんかとくか人間のものさし うそかまことか仏さまのものさし |
相田みつを |
| 4月 |
今日一日がわたしのいのち今日一日をどう生きる |
木村無相 |
| 5月 |
凡夫だからというのは自己弁護だ |
安田理深 |
| 6月 |
代償を求める必要のないのが念仏者 |
佐々木蓮麿 |
| 7月 |
仏の声を聞く真実の声を聞く |
桐溪順忍 |
| 8月 |
われわれは知らなくても仏に願いをかけれられ望みをかけられておる |
曽我量深 |
| 9月 |
仏法とは真実に「人」となる道であり法である |
藤 秀璻 |
| 10月 |
捨てうる限り捨てよう捨てられぬものが自分に余りにも多い |
宮地義亮 |
| 11月 |
真実の教えは生きる依りどころであり死して帰するところ |
南荘乗生 |
| 12月 |
過去をいたずらに追うてはならぬ未来をいたずらに待ってはならぬ |
南荘乗生 |