部落差別問題への取り組み

「御同朋御同行」という絶対平等の地平を浄土の徳として教えられる私たち真宗門徒にとって、今も現に生起し続ける様々な差別問題は、私たち一人ひとりにとって大切な信心の課題であり、真宗教団連合ではこれまで、継続して学習・研修の場の確保に努めてきました。
とりわけ、「被差別部落民」として差別されてきた人たちの大半が真宗の門徒であるという事実に思いをいたすとき、ともに宗祖親鸞聖人の教えをいただく私たちにとって、部落差別問題は大変大きな課題であります。

活動報告

部落差別問題への理解を深めるために

念仏者の課題として

私たち真宗門徒は、「御同朋御同行」という、人と人とがいのちを大切にし尊敬しあう関係の中に生きていくことが願われています。そして、この願いを生きる人びとの集まりを教団(宗門)とよんできました。

また、日本国憲法の第14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とうたっています。

しかしながら、このような願いに反して、私たちの身のまわりには人と人との尊敬しあう関係が阻害されている状況−差別の現実−が数多く存在しています。

とりわけ、この日本の社会では、今なお日常生活をはじめ就職・結婚などで差別をうけ、人間として生きる市民的権利が奪われている重大で深刻な「部落差別」という問題があります。

そして、「被差別部落民」として差別されている人たちの大半が、真宗の門徒であるという事実に思いをいたすとき、ともに宗祖親鸞聖人の流れをくむ私たちに大きな課題として迫ってまいります。

差別する心のありか

私たちは、「欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ」(『一念多念文意』)のままに生きています。そして、他の人に対して、自分より"上"か"下"かを即座に考え、"上"だと思う人には媚びへつらったり、ねたんだりし、"下"だと思う人には優越感を感じたり、軽蔑したりします。

そういう心が、「家柄」「出身」「学歴」「職場」などによって、人を"上下""貴賎"などに分けていくのです。すべてのものは、等しい尊い命をいただいて生きていると頭でわかっていても、実際の生活においては、このような思いの中で生活しているのではないでしょうか。「私は決してそんなことはしない」と言う人もいるかもしれません。しかし、結婚や自分に直接利害が関わる時などになると、身元を問い合わせ、「家柄」や「出身」や「学歴」などにこだわってしまうのが、私たちのありのままの姿ではないでしょうか。

「部落差別」もまた、実はこのような私たちの心に起因しているともいえます。

「部落差別」は、言うまでもなく歴史的にはかつての政治権力によってつくられたものです。しかし、1871(明治4)年にいわゆる「解放令」が出されてから150年近くもたった今日でも、被差別部落の人々は、そこに生まれたというだけで、さまざまな差別を受け続けています。その差別の現実は、「被差別部落の出身であるかどうか」ということに、かたくなにこだわり、別け隔てする私たちの意識が支えてきたと言わざるをえません。近くに、たとえ「被差別部落」がなくとも、私たちの中に、人をさまざまに別け隔てする心・意識がある以上、同じことであります。

このような意識に無批判で、心のままに安逸に生活している私たちであるかぎり、差別をなくすことはできないでしょうし、お互いを「御同朋」として語り合い、支えあって生活する豊かな人間関係も生み出していくことはできないでしょう。私たちの毎日の生活が落ちつきや安らぎを得ることができないのも、私たちがいつも他の人と自分を見比べ、また"私"の都合のよいようにものを感じ、そして考えていくことしか出来ないからです。

私たちは、親鸞聖人のみ教えを聞かせて頂くことによって、「世間とはそんなものだ」として、これまで差別をも「しかたがない」「当然、やむを得ない」としてきた私たちのあり様に気付かされます。言い替えれば、差別しつづけている私に気付かされると共に、差別することをいたみ悲しむ心を教えられます。

そして、私たち一人ひとりが、かけがえのない命をいただいて生きていることを知らされ、お互いがお互いを本当に尊敬しあって生きていく「御同朋御同行」の世界が開かれ、知らされていくのです。

いわれなき差別

わが国の身分差別は、古代から中世にかけて為政者が国を支配するために、民衆を「良民」と「賤民」にわけ、さらには天皇を頂点とする支配体制を確立していくなかでつくられてきました。

特に、江戸時代になって徳川幕府は支配体制をかためるために、苛酷な身分差別をつくって、その身分から動けないように縛りつけて、あらゆる制度のなかに民衆を分断支配する政策をとりいれました。そして「士農工商」という身分制度をつくり、その下に「穢多」「非人」の身分をつくりました。そして、住居や職業、結婚などをきびしく制限しました。かくして部落差別は非人道的な政治によってつくられたのです。これは、「上みてくらすな、下みてくらせ」と人びとの政治への不満をおさえていくために、私たちの差別意識をたくみに利用したといえます。

明治に入って、政府は「四民平等」をとなえて身分制度をあらためましたが、やはりそれは天皇を頂点とする新しい身分制度をととのえただけでした。天皇家は「皇族」、もとの公家と大名は「華族」、武士は「士族」、農・工・商は「平民」とよび、「平民」にも名字(姓)をなのることを認め、いちおう、住居、職業、結婚などは自由としました。しかし、「穢多」「非人」の身分はそのまま残されました。

そして、ようやく1871(明治4)年、「解放令」が布告され、「穢多」「非人」の身分を廃止し、平民となりましたが、その後も「新平民」と呼称され蔑視され続けたのでした。

やがて、社会の発達のなかで産業構造に変化が生じ、その結果、部落の人たちの仕事の多くが大資本に奪われ、被差別部落はいよいよ経済的にもとり残されていきました。

差別のありさま

制度上の身分制度が撤廃されてから約100年後となる1975年、被差別部落の出身であるか否かを調べることを目的とした『部落地名総鑑』なる書物の流通が確認されました。

これには全国の被差別部落の所在を記してあり、多くの企業が購入し、社員の採用に利用していたことが明らかになりました。つまり、この書物を用いて、就職希望者が被差別部落の出身であるかどうかを調べ、その出身であることが分かると採用しないようにしていたのです。そして、この『部落地名総鑑』は企業ばかりでなく個人によっても購入され、結婚の身元調査にも用いられていたのです。

『部落地名総鑑』や身元調査などの横行する社会は、人を傷つけ、差別する社会にほかなりませんが、それは実は私たち自身が作りあげているのです。お互いの「出身」や「家柄」などに執われる思いによって、このような書物を利用してまで身元調査を行います。

この差別図書は、先に触れたように被差別部落の人々を中心にした広範は人びとから批判されましたが、この事実は、社会に根強く残る差別意識の存在を如実に示しています。

こうした"身元調査"に私たちが無関係であったとはいえません。何故なら私たちも寺院の過去帳等を利用してこれまで"身元調査"に積極的に加担してきた事実があります。

今日、私たちが"身元調査お断り"の運動を進めているのは、単に平等をタテマエとして主張しているのではありません。差別に加担し温存助長してきたという事実を懺悔し見据え、ふたたび同じ誤りを繰り返さないという決意の実践であります。

さて、この例のようにして、現在もなおプライバシーが調査され、侵害されることによって、被差別部落の人々をはじめとして多くの差別を受けている人々の生活が圧迫され、仕事や結婚のみちが閉ざされています。そして命が奪われることさえおこっています。大切なことは、このような社会を生み出しているのは、他のだれでもなく私自身であるということに思いを致さねばなりません。

全国水平社=みずからの手による解放運動

1922(大正11)年3月3日、京都の岡崎公会堂に全国から被差別部落の代表3千人が集まり、これまでの政府の慈善的な施策や世の中の同情が、「何等の有難い効果をもたらさなかった」「かえって多くの兄弟を堕落させた」との思いから、みずからの手によって部落の解放運動を進めていくことを決議して、「全国水平社」が結成されました。この運動の中心となった西光万吉師は浄土真宗の寺院の生まれであり、真宗の教えを運動の中心にすえて闘った人です。

この水平社創立当時の人たちは「部落内の門徒衆よ、われわれは今日まで、一般世間から軽蔑せられ、同じ御開山聖人のご門徒仲間からさえ人間らしい交際をしてもらえなかった...本願寺に莫大な懇志を運ぶことも結構かはしれないが、われわれが早くこの忌まわしい差別をとりのぞいて、真に御同行、御同朋と仰せられたように、どんな人たちとも交際できるようにする方が、どれくらい御開山様の思召しにかなう事かもしれない」と訴えられています。

このように、これまで差別されてきた人びとから、真宗教団が親鸞聖人の「御同朋御同行」の精神に背いて差別教団になっていたことを厳しく指摘され、ともに同朋として立ち上がることが念じ続けられてきたのであります。

他人の痛みをかえりみない私の存在

それでは、私たちは部落差別の問題に対して、どのような態度をとってきたのでしょうか。

「私の地域には部落はないから関係ありません」とか、「今の社会から、いずれ差別はなくなるから"寝た子"は起こさないほうが良い」などと考えていませんでしょうか。

また、部落の人たちに対して「差別されるようなことをしているから、差別されるのだ」とか、「何かあると、すぐ集団でおしかけてくる」とか、さらには「こわい」「ガラが悪い」「不作法だ」などと考えていないでしょうか。

しかし、よく考えなければならないのは、私たちのこういう誤った認識や態度は、自分の直接体験によるものではなく、「誰からか、噂でそういうことを聞いた気がする」とか「なんとなくそう思う」「みんなそう言っている」という場合がほとんどなのです。

つまり、差別の現実や自分の差別意識を問うことをさけて、このようなうわべだけの言葉によって逃げている"私"を、まず問題にしなければなりません。なぜなら現に生きている差別に対して「私は差別していません」という立場でいたり、ただ黙っていることは差別を認めていくことになります。さらに自分の生活が差別の問題に関係しないときは傍観者でおりますが、具体的な自分の問題になると、すぐに差別者になるからであります。だから「差別というものは空気のように社会意識として人びとのこころに息づいているのだ」といわれるのです。

被差別部落のある婦人が、「妊娠がわかったときから、おなかの子のゆくすえを安じてしまうのです。やがて、私たちと同じように、学校でも、社会でも、就職、結婚と、さまざまな差別を受けていくのかと思うと喜ぶに喜べない、複雑なつらい気持ちになり、産むことさえためらってしまうのです」と苦しい胸の内を吐露されました。

このような、被差別部落の人びとの心情を思うとき、真宗門徒の一人としての使命の重大さに、いまさらながら気づかされます。それは、何もなし得なかった私の在りようと同時に、むしろ、それ以上に、これまでの教団の中の誤った真宗理解が正しい部落解放=人間解放の運動を見失わせ、かえって差別の仕組みの中に、人びとを閉じ込める役割を果たしてきたことを反省しなければなりません。

親鸞聖人のみ教えに聞く

親鸞聖人は、

一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし(『教行信証』信巻)

と説かれました。
「一切の群生海」とは全ての人々であり、そこには唯一の例外もありません。親鸞聖人も自らを「一切の群生海」の内の一人として見つめられました。

それは聖人の

まことに知んぬ。悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、
真証の証に近づくことを快しまざることを恥づべし傷むべしと(『教行信証』信巻)

というお言葉によって明らかです。全ての人々が迷い苦しむ世界にあって、差別をし、差別を許してきた私が阿弥陀如来の光明に照らし出され、そんな私のありのままの姿が知らされた時、そこでは、「私は差別をしていません」「私には差別意識はありません」といって、自らだけを上に置き、他を見下す思いが出てくる余地はありません。

また親鸞聖人が自らを「一切の群生海」の一人として見つめられていたことは、

ひとすじに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、
煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。具縛はよろづの煩悩にしばられたるわれらなり。
煩は身をわずらはす、悩はこころをなやますといふ。屠はよろづのいきたるものをころし、ほふるものなり、これは猟師といふものなり。
沽はよろづのものをうりかふものなり、これは商人なり。これらを下類といふなり。
・・・・・・猟師・商人、さまざまのものは、みな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり(『唯信鈔文意』)

というお言葉によっても明かです。

それは「具縛はよろづの煩悩にしばられたるわれらなり」とおっしゃられた<われら>の中にうかがい知ることが出来ます。親鸞聖人は自らを一切群生海の一人として、自らをその上に置かず、自らを含めて<われら>と呼ばれました。しかもその<われら>は、決して抽象的・一般的な「極重悪人」「罪悪深重の凡夫」「煩悩具足の凡夫」といった<われら>ではありません。「屠沽の下類、猟師・商人」と言われてあるように現実の社会で生活し、実際に虐げられ支配され、差別されている人々と同じ立場に立って、自らを<われら>と呼ばれたのです。

だからこそ親鸞聖人は、そうした被支配・被差別の立場に立つ人々を

海・河に網をひき、釣りをして、世を渡るものも、野山にししをかり、鳥をとりて、いのちをつぐともがらも、
商ひをし、田畠をつくりて過ぐるひとも、ただおなじことなり(『歎異抄』)

と看破されたのであります。

親鸞聖人の指摘された<われら>の世界は共感の世界であり、連帯の世界でもあります。

よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪の字しりがほは、おほそらごとのかたちなり(『正像末和讃』)

と親鸞聖人は、被支配者・被差別者に共感と連帯を示されました。

しかし、現在でも念仏者の中には「私は悪人(凡夫)だから他人の事は何もできない」「煩悩具足の凡夫だから差別するのは当り前だ、この凡夫を救わんがための如来の本願である」とうそぶいたり、差別に苦しむ人々に無関心である人々がいます。そこには親鸞聖人が示された同朋の営みは少しもありません。聖人は念仏者としてのその様なあり方を

師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふよしきき候ふこそ、あさましく候へ。
すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず(『末灯鈔』第20通)

と厳しく戒めておられます。
こうした戒めにあいながらも、私たち念仏者は、差別をしないとか、信心の行者にとって差別問題は無関係だと独断してきました。
私たちは、まず、そのような私自身の有り様をみつめ直し、全ての人々と共感・連帯する歩みを始めたいものです。

生きるよろこび=人間解放の確かな歩みを

本来、差別のない御同朋の世界を願うこころは、浄土を願求するこころから与えられるものであります。まさに「念仏とは、人を尊敬することからはじまる」といわれるこころでありましょう。

親鸞聖人は「賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」といわれました。この言葉からうかがわれますように、信心とは真実の教えによって私のおろかさが知らされることであり、そのことはとりもなおさず差別し続ける私の有様を知らしめることになるのでありましょう。

私たちは、部落差別をはじめとする様々な差別の現実を正しく学ぶことをとおして、差別からの解放を信心の課題としていく必要があると思います。

そしてもう一度、親鸞聖人の「同一に念仏して別の道なきがゆえに。遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり」というお言葉を正しくいただきながら、人と人とのまじわりを深めて、共に人間解放の仏道を歩もうではありませんか。

資料① 「よびかけ」

われわれは、社会に、宗教者を名告る者である。宗教者は、教えの心をこころとして生きる者である。 しかるに、その心にそわぬ、あやまちのいかに多かったことか。しかし、このあやまちは、深き反省において、また、教えにつながりうる。

神の国・佛の国を願うことは観念ではない。社会の事実を見すえ、積極的にかかわる生きざまにこそ、その証しがある。

今やわれわれは、あたえられた平等の慈愛にたって、世界の人権、そして日本の部落差別の事実を、自己自身にかかわる問題として受けとめ、自主的に歩み出すことを確認する。

ここに、あらためて、深き反省のうえに、教えの根源にたちかえり、「同和問題」解決へのとりくみなくしては、もはや、日本における宗教者たりえないことを自覚し、ひろく、宗教者および宗教教団に、実践と連帯をよびかけるものである。

1981年2月16日
浄土真宗本願寺派 真宗大谷派 天理教 日本基督教団(五十音順)

資料② 「同和問題にとりくむ全国宗教者結集集会」宣言

天のこえ、地のこえを別のものとして、われわれ宗教者は神の栄光を讃え、ほとけの徳を語り、まことの道は天に通ずとのみつたえきたった。すでに六十年前、水平社宣言における、「人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃するものである。水平社は、かくして生まれた。人の世に熱あれ、人間に光あれ。」という大地の叫びをどううけとめてきたか。いま、われら、ここにあらためて、大地に立ち、一切の差別を許さない厳しい姿勢を律しつつ、相携えて、あらたな宗教者たらんことを宣言する。

1981年3月17日